昭和10年少女たちの作文から 65
2018年09月18日
先月号では、太平洋戦争終結1年前の小樽について述べたが、本号では、日中戦争勃発の2年前、昭和10年の小樽の少女たちの作文からふり返ってみたい。
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防空演習の一夜
『空襲だ!空襲だ!続いて夜の静けさを破って聞こえてくるプロペラの響。真暗やみになった小樽の上空を襲う一台の飛行機の影。「すわ敵機現はれたり」。と小樽市を護るために設けられた照空灯は、花園公園、小樽築港、手宮の切割の三方から一時に照らし始めた。飛行機も必死であったろう。
しかし、それにもまさって小樽市を守るために照空灯を操っておられる人々はどんなに真剣であったろう。
小樽市の青年団、在郷軍人そのほかいろいろな人々は、この防空演習に際して一生懸命に我が小樽を守っておられるのだ。
私共は、その係員に出られないのであるから、家にいて静かに小樽市、更に大日本帝国が平和にすぎていくように祈ろうではないか。
プロペラの音は、尚も高々と響いてくる。』
この作文は、小樽稲穂女子小学校6年生の木島ユキさんが書いたものである。2年生の河野亮子さんも防空演習のことを書いているが「これがほんとうであったら私はどうしたらよいかと思ひました」と結んでいる。
同じく高2の岡田富子さんは「長い沈黙と、はげしい興奮から離れた私たちは只、真暗な空をみつめているばかりである。今更のように夜寒が身にこたへてきた」と記している。
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伝統ある小樽稲穂女子小学校が、昭和10年に「稲女」という文集第1号を発行したが、前記の作文はその中から選んだものである。
当時の渡部鉄三校長は、この文集の序文に、「綴る心」と題した一文を寄せているが、それに応えるかのように、1年生から高等2年生までの少女67人の作文が載せられている。
内容は、お母さんのこと、修学旅行のことなど多彩である。その中でも、水兵さん、軍艦飛行機など、時勢を表しているものが多い。戦時体制に少女たちが受けた心境を伺い知ることができる。
この年は、旭川第7師団管下の旭川、札幌、小樽、室蘭4市のほか、管下の40町村に防護団が結成され、防空演習と灯火管制などが実施された。少女たちが文章にした防空演習もこのときのものであろう。
水兵さんや軍艦のことを書いたのは、同じくこの年の秋に連合艦隊が小樽に入港し、学校ごとに見学させたが、その印象を作文にしたものと思われる。
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しかし、その2年後には日中戦争、更に昭和16年には太平洋戦争となり、戦争が現実となった。
少女たちは、やがて青春時代を迎えるが、学業を捨てての勤労動員、あるいは女子挺身隊として軍事産業に動員されたのである。そして戦中・戦後の食糧不足と混乱の夜を生き抜いてきた。
稲女の文集1号にけなげな心を綴った少女たちも、今は60代、70代と年輪をきざんで、きっと小樽に住んでいる人もいるであろう。
往年の稲女の少女たちに、これからも元気であってほしいと心から祈りたい。
昭和10年9月、小樽港に入港した連合艦隊を祝津から見る。(小樽海軍普及会撮影)
稲女の校舎(現在の総合福祉センター・保健所・医師会館のところ)
~HISTORY PLAZA 65
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