日本郵船小史5 (四)明治時代後期(明治31-45)その2

2016年04月20日

(1)航路の変遷

(イ)逓信省命令航路

(ロ)北海道庁命令航路

当社創業当時の政府より受命の函館根室線・函館小樽線・小樽宗谷線・根室国後択捉その他諸島線は逓信省命令航路より分離し、北海道長官より33年(1900年)10月より38年(1905年)9月30日まで毎年127331円の航路補助金を以て次の4線の定期航路を命ぜられ、道庁命令航路に変更した。

 函館・根室線

 根室・紗那線 根室・網走線

 小樽・稚内線

前記道庁命令航路は未だ北海道の全沿岸を連絡するものでなかった処、明治34年(1901年)5月13日北海道長官より当社に対し毎年52964円の航路補助金を以て同年5月より39年(1906年)3月までの5ヶ年間函館・小樽線の定期航路を命ぜられ、全道沿岸を連絡周航することとなり、稚内網走方面に新造船日高丸(735G/Т)十勝丸(1109G/Т)天塩丸(1107G/Т)が配船された。

(ハ)明治36年(1903年)12月現在の航路及び配船(附図3)

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IMG_5124明治42年の小樽を回顧する(小樽市史軟解 第3巻 岩坂 桂二)より