昭和9年の写真にみる小樽の女店員~大国屋デパート 71
2018年07月25日
経済都市として発展してきたわがマチ小樽について、本号では働く女性の服装から、その一面を考察してみたい。
掲載の写真は、いまは取り壊されて無くなった大国屋デパートが、昭和9年改装オープンした時の女店員の姿である。昭和9年(1934年)といえば今から61年前であるが、当時の雑誌や新聞は、時代の先端を行く銀座を闊歩する華やかな女性の姿をとりあげて流行を紹介している。
「すいれんの花咲く池畔 百余の娘子軍」という見出しで載っていた当時の新聞には、ミス道庁のシックなロングスカート姿が美しい。そんなことを思い浮かべながら写真Aを見るとこれがなかなか決まっている。銀座の女性やミス道庁にも決してひけをとらないものである。
エレベーターガールは当時の女性のあこがれの職場でもあったと思う。小樽市民にとってもデパートのエレベーターガールにはそれぞれに思い出があるであろう。モードが経済社会の上昇エネルギーにつながるものとすればこの写真も注目される。
A 市民の注目を集めた大国屋デパートのエレベーターガール
写真Bは、同じく大国屋の呉服部に飾られたマネキンで、当時の髪形や着物の柄もいい。
B 呉服部に飾られたマネキン バックの構成もいい
写真Cは、5階にあった食堂風景で、ウエートレスの服装はこの姿が長く続いたものである。人数もこれだけ揃っているのをみるとその盛況が偲ばれる。
C なつかしい服装のウエートレスが大勢揃った食堂
写真Dは、化粧品コーナーの店員である。和服姿であることと商品の種類の多さにおどろきを感じる。クラブ白粉、花王シャンプ、クラブ美身クリーム、資生堂クリーム白粉、ヘチマコロン、ベジリン香水、御園クレーム、タンゴドーラン、クローバーレモンクリーム……こんな商品名も今はなつかしいが、化粧品のウィンドーは満開の時代であった。
D 小樽の女性に人気を集めた化粧品部と女店員
以上、女店員を一つのデパートからみつめたが、東京をはじめ大都市の女性に負けないチャーミングな女性が小樽には多くいたものだ。そんな人たちが着こなす和服や洋服も、似合うのは当然だと思う。あそこの店にはこんな娘がいるーそのために買い物も無いのにその店に通い続けた小樽の男性軍も少なからずいたと思う。一度そんな思い出を語る座談会を開いたら、意外な面から小樽の底力を知ることができるかも知れない。
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昭和9年、当時の小樽の背景をみると、経済界が中心となった「昭和会」(理事長寿原英太郎)という組織が大小樽建設にまい進していた。若手では、小樽実業青年俱楽部が「実業青年弁論大会」を開催したり、小樽連合青年団が、小樽公園グランドで体育の競技会を開催して気を吐いているが、この年第12回目を迎えている。
また、札樽国道開通記念として、オリンピック規定によるロードレース札樽往復60キロのサイクル選手権大会を開催している。更に、この年は小樽~蘭島間の新国道も開通したが、大きな道路のほか、夜の新繁昌道路として「演芸館通り」(現在のうしお通り)のオープン記念祝賀会が花園北門会主催で盛大に開催されている。(会場は料理店大関)。
美術界では、平澤貞章、成田玉泉、国松登をはじめ多くの画家が、公会堂で第1回小樽美術協会展を開催した年である。
~HISTORY PLAZA 71
小樽市史軟解 第3巻
岩坂 桂二
月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より
やはり鯡?
暑寒連峰の山々もくっきり
~2016.2.28~
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
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営業時間:10:30~21:30
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