小樽・区制時代の雪と道路 47
2016年02月24日
小樽の郷土史家であった越崎宗一さん(明治34年~昭和51年)は、かって「雪割り」という随想の中で小樽の雪について次のように述べている。
『明治から大正にかけて、まだ今のように舗装道路にならぬ前には鉄輪の荷馬車が唯一の貨物運搬機関であったから、雨の日には道路が田圃のようにドロンコになり、馬車がぬかって難儀したものだったー。雪が降っても今日のような除雪車が通るわけではなく、両側の店舗は自分の店の前の雪をかき車道にほうりこむから自然と車道は高くなっていった。
路面より3尺も4尺も高くふみ固められた。昔は今より多くの雪が降ったようだ。車道が雪で高くなっても、冬の内は馬ソリで通ることはチッとも差支えなかった。問題は雪どけのころである3月ともなれば、うららかな陽ざしに雪もとけ馬フンが表面に表われてソリの滑りも悪くなる……。そこで毎年4月3日の神武天皇祭の旗日が雪割り日と定められ、荷馬車業者がこの日は営業を休んで、つるはしやスコップを手にして集団で道路の堅い雪を割ったものだーー力のある馬車屋がスカッスカッと気もちよく半氷の雪を割ってゆくのは子供心に見ていても気もちよいものだったー。両側の商店の店員たちもこれに加勢して後片付けを手伝いしたー。』
また、昨年は映画「はるか、ノスタルジー」の原作者、山中恒さん(児童読物作家・昭和6年、小樽生まれ)が、試写会の折、小樽市民会館で「小樽・私の心の原体験」と題して講演があった。その講演の中でも冬の道を語り、馬ソリのことなどを語ったが、、越崎さんの話は明治・大正時代に限らず、昭和に入っても同じような光景があったことを、改めて思い出すことができた。
昔は、稲穂町の中心にも大きな鉄工所が並んでいた。その広い屋根から何メートルもあるつららができ、それは壮大なものであった。吹雪の中で見るつらら、陽ざしを受けて輝くつららは、その日によって見る人に変化を与えてくれた。道路の雪と共に一つの小樽を語っていた。
小樽ロケの映画「はるか、ノスタルジー」の中でも、雪にうずもれた夜の小樽が雰囲気に満ちたシーンで再現されていた。
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写真A 現在の大国屋デパート横から港を望んだもので、右手後方には日本銀行小樽支店の建物が見える。この通りは第1火防線(現在の緑・山手線)と呼ばれていたが、道路の中心に山積みされた雪にはおどろく。しかし、一面において歩行者中心の道路、排気ガスのない道路にせん望を感じる。
写真B 当時、稲穂中央の繁華街として賑わった仲見世通りで、後方の高い建物は映画館の電気館である。手前の広い道路も雪の山。
写真C 雪解けの色内大通り。中央に見える馬ソリは人を乗せる乗合馬車である。左の馬ソリは荷物を運び、右手のソリは人の手によってひくソリで、今はなつかしいものの一つになっている。
今年も雪どけを感じる3月がめぐってきた。
~HISTORY PLAZA 47
小樽市史軟解 第2巻 岩坂 桂二
月刊ラブおたる 平成3年11月号~5年10月号連載より
ゴメ 帰るわ
そば会席 小笠原
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