赤岩温泉~〝北海の耶馬溪”光と影

2015年06月07日

CIMG7398 湯はぬるかったが、結構なにぎわいを見せた赤岩温泉

下 いまは往時を偲ばせる岩がきだけが残されている

~“北の耶馬溪”光と影~

 赤岩温泉の絶景は、小樽でも最大級の観光名所だろう。

 切り立った暗赤色の岩膚が、波打ち際から、天に向かってそり立つ。最長部は三百七十一㍍。

 岩を登れば、眼下に果てしなく広がる青い海。明治の文豪杉浦重剛が「北海の耶馬溪」と賛辞を惜しまなかったのも、うなづける。

 赤岩は、単に景勝の地というだけでなく、信仰の霊場、伝承の地としての知られる。

 白竜がすむという伝説、義経物語、子宝地蔵の由来ー。明治八年には、札幌の定山と並ぶ高野山の行者・鷹尾了範が、赤岩の山頂付近の洞くつにこもり、二十一日間の断食苦行を行なっている。

 赤岩が霊場、伝説の地になったのは、沖合から血の色のように見えたという岩場の絶景。さらに、このあたりの海上に、しばしば蜃気楼(しんきろう)が現れたことにも大きな理由がありそうだ。

 弘化三年(一八四六)にこの地を紀行した松浦武四郎の日記にも「あれよあれよと指差して視めるうち、一陣の風と共に消えた」と、その神秘の気象現象が述べられている。

 忍路・高島がニシン千石場所として栄えた古い時代、この沿岸の難所で、多くの漁船が遭難したことも、住む人たちに強い信仰心を植えつける結果となったに違いない。

 さて写真は、明治末期に、この赤岩に建てられた赤岩温泉である。

 いまでは、だれが温泉を掘り当てたのか、だれが温泉郷を築いたのか資料がほとんど見あたらなかった。古老の話だと、写真でご覧のように木造二階建ての、当時としては豪勢な造りで、ニシン場の若い衆や、霊場めぐりの善男善女で結構なにぎわいだったそうだ。

 しかし湯がぬるく、それに裏山からのがけ崩れもあって、いつの間にか姿を消した。

 赤岩峠のがけの小道を下りた海べりに、いまその残影をとどめる石がきが寂しく残されている。

 時は移り、北海の耶馬溪はいま国定公園となった。祝津からオタモイまで約六・二㌔の赤岩探勝自然歩道も通る。絶壁一帯にからむツタウルシが、晩秋の日に深紅に燃えるさまは、息をのむ思いがする。

 大都市のすぐ近くに、これほどの景観があるのに、なぜか観光パンフレットにもあまり登場せず、小樽以外の人にはほとんど知られていない。

 古典SLの義経号や大型帆船の海王丸の呼び込みに目の色を変える小樽の人たちが、なぜ赤岩に振り向かないのだろう……。

~おたる今昔 読売新聞より

 

『さあ、出かけよか。』

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『どこへ?』

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CIMG0750道路の左側には、赤岩山 右側には下赤岩山

そして夕方、二つの灯りが見えるのは、この右側。

CIMG0752白竜山寺院

途中の道端に、

CIMG0756うるし

CIMG0757つたうるし

 CIMG0761うるしの花 何と漆の実は11月末頃、食べることが出来るそうです

(アイヌの子供たちのおやつでもあった)

CIMG0759こちらも白竜山寺院 青山別邸近くにも三カ所目の白竜山寺院が

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CIMG0770赤い岩

CIMG0772この岩の下の海岸

CIMG0773この先にあった赤岩温泉

 今でも源泉からお湯(約20℃くらい)が流れ出ているそうです。

CIMG0776信仰の地

CIMG0777霊場 赤岩

CIMG0780下った その先は

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『ありがとうございました。二つの灯りにももう少しで辿りつけそうです。』

さあ、つぎは。

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CIMG0797店からここは見えるんです

CIMG0796ここから店は

 『見っけ!』