田村平治

2015年06月04日

IMG_0074A 料理人、「つきぢ田村」主人

~大根の皮の醤油煮が私の料理の基本です。捨てるな、素材の生命を慈しめ、ですわ~

お食事中、失礼します。

 「どうぞどうぞ、じき終わりますさかい。私は何を食べてもおいしそうに見えるらしいんですわ。入院しとったときは、他の部屋の患者さんが見に来ましたよ。“田村さんの食べているのを見ると、食欲が湧きます”って」

ふつう、病院の食事はまずいですが。

 「私は人様に作っていただいた食べ物に文句を言ったことは、一遍もないんです。何でもおいしくいただく。だいいち、自分の食べるものを自分で作ったことがない。全部、家内任せですわ。

 前にホテルオークラの小野正吉さんと、四川飯店の陳建民さんと話したとき、おふたりも同じこと言うてはった。自分の食べるものはなんでもいい。文句言うたことないって。」

料理のプロとはそういうものですか。

 「ただ門前の小僧ですが、私は栄養にやかましいよ。昭和33年から30年来、今の女子栄養大学で日本料理の講義をしてましてな。そもそも創始者の香川綾先生とは戦後すぐの年に出会いましてね。こう言われた。“健康で過ごすには、毎日の食事の栄養が大切です。私はそれを普及させたい”と。

 戦後すぐの、まだ食べ物もろくにないときですからね。感激しましてなあ。当時、滋養という言葉はあったけど、栄養という概念は日本にはなかった。自分はうまいもん作りに邁進してきたけど、健康があってこそのうまいもんやと思いましてな。」

上手に栄養を取り入れるコツを。

 「私は“一食十色”といっています。ご飯から漬物まで、10種類の食材を揃えるといい。ひい、ふう、みいと数えてみて10に足らんなら、赤い梅干しひとつでええのやと。こうすると自然に栄養が摂れるんです。

 ほら、この食事(写真E)も大したもんはないけど、10色揃ってますやろ。」

さすがにインスタント・ラーメンは?

 「味見はしますよ。あれはあれでうまい。あの値段で、あれだけの簡便さと味があるんやから、否定はできません。

 伝統を重んじることは大切ですが、意味のない因習に囚われることは、それこそ意味がないんと違いますやろか。

 たとえば火。ただ炭をありがたがるんやなしに、効率も使い勝手もいいガスや電気を上手に活用する。日本は頑固一徹を無条件に礼讃するところがありますが、私は科学の恩恵を受ける柔軟さも大切やと思います。」

ところで、よく一汁三菜といいますが。

 「日本料理の基本は一汁三菜です。汁物に、向付、煮物、焼物。ご飯と香の物は別です。向付とは、膳の向こう側に付けるものという意味で、主にナマスをいいますな。

 これをもとに一汁五菜、一汁七菜と、菜を奇数で増やしていくんですわ。」

日本料理の顕著な特徴と言いますと?

 「たくさんありますが、まず陰と陽という考えが挙げられますやろな。包丁は料理の命ですが、和包丁は世界に類のない片刃です。刃に裏と表、すなわち陰と陽がある。

 和包丁をまな板に垂直に立ててごらんなさい。真上から見ると、右側は鋭くそぎが入って傾斜していて、左側は平ら。この傾斜している右側が表、つまり、陽。平らな左が裏。陰なんです。陽を使う切り方と、陰を使う切り方を日本料理では使い分けています。

 盛りつけにも陰陽がありますよ。ひと切れなら陽。つまり料理の表を上にして盛りつける。ふた切れなら陰と陽を組み合わせる。ひとつは表、もうひとつは裏という具合に。

 器かてそうや。丸いものは陽、角形は陰と考える。丸い茶碗にご飯を盛るときは、器が陽なので、ご飯は尖らせた陰の形に盛りつける。見た目もきれいでっしゃろ。

 陰陽を常に意識するのが日本料理の特徴であり、日本人の美意識の表れなんですわ。

ただ包丁が切れないことには・・・・・・。

 「料理の始まりは割刀(さつとう)にあり、という言葉があります。割刀道です。切れる包丁で素早く切る。とくに日本料理の中心となる魚では、これがうんと大事です。 元来、包丁を握るのは男の仕事でした。女は男が切ったものを煮炊きする。女の人には失礼やけど、包丁が女の管轄になってから、ダメになったなあ。魚が切り身で売られるようになって。あれはあきまへん。魚のうまいところが全部出てしまう」

包丁を持つ時の姿も大切でしょうね。

 「基本ですな。まず、まな板に向かって握りこぶしひとつの余裕をとって正面を向く。次に右足を少し引きますのや。これで庖丁はまな板と直角になり、切りやすくなります」

包丁は関西と関東では違いますか。

 「たとえば刺身包丁。関西は柳刃、関東は蛸引きが伝統ですな。関西は活き魚しか使わなかった。しめたては硬いから、切れ味のいい柳刃。関東は身をしめてから使うとうまいマグロなどを多く食べるので、柔らかい身をきれいに切る蛸引き。

 うちの料理場では、マグロだけ蛸引きで、後は仕事の速い柳刃を使ってますな」

IMG_0075B 愛用の道具。京都・有次製。上から柳刃、薄刃、出刃、骨抜き、真魚箸(魚用)、目打ち(鰻用)。左からむきもの包丁、ウロコ取り、貝割り包丁。

京都で修業後、上京されたのですね。

 「昭和7年、築地で初めて江戸前の握り鮨を食べたときのうまかったこと。忘れられまへんな。関西は箱鮨や押鮨しかなかったから。当時の東京湾は、いい魚がたくさん捕れましたよ。フッコ、カレイ、シャコ、ハゼ、メゴチ、キス、ハマグリにアサリね。料理人の幸せこの上ないと思いましたな。ざるを抱えて河岸へ走ったもんですわ」

(つづく)

~サライ 1992年10月1日号より

CIMG0713大根の皮の漬物