明治・大正の小樽をみる (その1)~小樽港 82
2015年06月05日
小樽の港について伊藤整が書いた一文がある。
『この港に泊って朝早く目を覚ますと、太陽が正面の海から昇るのに初めての人は驚く。この港が面しているのは日本海である。それなのに海から太陽が昇る。だからこの港は東向きである。天気のいい日だと太陽ののぼるあたりに、半島ようの山岳が見え、その右手が平地になっているあれは一体どこの陸地かと聞くと浜益だという。ハママスってどんな所か分からないでいると、あの半島のつけ根のような低い所が石狩川の河口だという。
それで聞く方は、おぼろに石狩川の河口が日本海に注いでいるあたりの海岸が大きな半円を描いて、その西岸が日本海に北に向ってつき出ていることが分る。
そして、その石狩湾の西岸に、更に小さな半円形の築港を持ったこの小樽がある。半年にわたる冬季には北風に悩まされながら、日本海を北は稚内から南は秋田の能代、新潟、伏木、敦賀にわたって往来する貨物船が、最も北風の当らない安全な港として小樽に集まることも旅人は理解する……』
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小樽は昔から港があったが、小樽港と名付けられたのは1872年(明治5年)からである。小樽港海面埋立という大工事と共に、防波堤の必要性が叫ばれた。湾形が広すぎるため、一度西北の強風に見舞われると、遠く外岸から押し寄せる激浪が湾内にとび込み、碇泊の船舶を破壊し、多大の損害を与え、余波は海岸に殺到して陸上施設にも被害を与えたからである。
1897年(明治30年)広井勇の設計で着工された防波堤工事は、わが国のコンクリート技術史のみならず、世界に誇る大港湾事業として注目され、その完成は高く評価されたものである。
明治の価値ある時間(とき)を示すもののひとつである。
A 明治・大正期の小樽港 手前は今はないが立岩でこの辺は区民にとっては海水浴場でもあった
B 小樽港外から見た防波堤で 当時の灯台も波涛を受けながらも生き続けた
C 当時の第一防波堤
D 小樽築港作業所が見える第二防波堤
~小樽市史軟解 4
岩坂桂二
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