文学の中の小樽 武者小路実篤 「或る男」

2015年06月13日

 IMG_0064石造倉庫や問屋街が続く堺町かいわい

~初恋の人の住む町~

 明治四十四年(一九一一年)五月、札幌に白樺派の先輩作家有島武郎を訪ねた武者小路実篤は、そこで満二十六歳の誕生日を迎え「誕生日に際しての妄想」と題した長詩を書いている。その詩は「自分の謎のいやが上に大きからんことを祝福して今日はこれより小樽にゆかん。わが第二の母のいます処へ」と結ばれている。この「第二の母」とは、小樽の香村家へ嫁いでいた実篤の初恋の人志茂テイである。

 実篤の自伝小説「或る男」(昿野社、大正12年)に「お貞さん」として登場するこの女性は、女学生時代、実篤の邸内にあった伯母の家に寄寓(ぐう)していた。三歳年下で愛きょうのあるお貞さんに実篤は心引かれる。その気持ちを打ちあけることはできぬまま別れ、数年後、彼女が他家に嫁いだことを聞く。そして、その寂しさが実篤を文学に向かわせるきっかけの一つになったというのである。

 「或る男」には、お貞さんを小樽に訪ねるところが、つぎのように描かれている。

 「彼は小樽の町を見るのではなかった。彼女の住んでゐる町を歩くのが目的だった。…お貞さんはあわてて出て来て彼等を室に通した。そして相変わらずの親しさをもって彼を迎えた。夫は商売の用で忙しかった。客が来て相場の上り下りが一番の大事件として話されてゐた。…」

 お貞さんが嫁いだ香村英太郎は大阪出身の商人で、実篤が来樽したころは、当時の商業の中心地堺町二十二番地に店を構え、雑穀肥料商、倉庫業と幅広い商いをしていた。道内に先駆けた魚油の精製輸出で一躍名を上げた人である。

 実篤は、お貞さんの家を出た後、終列車で札幌に帰り、豊平川の川べりを一人さまよいながら、こみ上げてくる寂しさに耐えた。一ヵ月ばかり有島のもとに滞在して東京へ戻った。実篤にとっては忘れ難い旅だったという。

 「涙の谷を通ったので」いっそう自分は鍛えられたのだと、自らを慰めたのである。

(小樽文学館・玉川薫)