時に人あり -私が担当の最終回ー 100
2021年03月31日
私が小樽市史軟解HISTORY・PLAZAを担当してから9年目を迎え、今月号で100号になった。
この間、市立小樽図書館はじめ、多くの方々からご支援をいただき、さらに、読者のみなさんから激励されたことに対し厚くお礼申し上げたい。最終回を迎えるに当り、いろいろなことが思い出されるが、中でも人を取り上げたことが資料収集に苦心したこともあって懐しい。今月号は、その時代に生きた人を執筆した中から、その一部を振り返ってみたい。
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写真Aは、小樽の花園町で生まれた水ノ江瀧子(ターキー)の若い時代のものでサイン入りである。
A 小樽出身の水ノ江瀧子(ターキー)
写真Bの女優、園囲恵子は東北生まれであるが、女学校時代庁立小樽高女に通学したことのある希有な美人であった。
庁立小樽高女に通学した女優園囲恵子
写真Cは、小樽の稲穂町で生まれた歌手、小林千代子である。戦後は、小林伸江と改名し、オペラ界で活躍した。
C 小樽出身の歌手小林千代子、戦後は小林伸江と改名
写真Dは、同じく小樽の稲穂町で生まれたジャズ歌手のナンシー梅木である。映画「さよなら」では、日本人として初めてアカデミー賞のオスカーを受賞した記録を持つ人である。
D 小樽出身のジャズ歌手ナンシー梅木
写真Eは、小樽駅下にあった北海ホテル内のビアホール“モンパリ”のホステス静江で、なかなかの美人であった。
E ホステスの静江
写真Fは、小樽富岡町で生まれた舞台俳優の中村伸郎である。
小樽出身の画家、小寺健吉の弟で、私は、この中村伸郎から手紙をいただいたことがあるが、日本の名優の一人である。
“時に人あり”これらの人はその時代に生きた小樽の誇りであると思う。長く語り継がれることを願ってやまない。
F 小樽出身の舞台俳優、中村伸郎
~HISTORY PLAZA 100
小樽市史軟解 4 岩坂桂二
月刊ラブおたる より
そば会席 小笠原
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