明治・大正の小樽をみる(その9)~高等商業学校 90
2015年11月25日
先月号では、小樽における明治・大正時代の中学校や女学校の写真を紹介したが、今月は、同じく明治時代に設立した小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)について懐古したい。
この学校は、1911年(明治44年)5月5日、第1回入学式を行なったが、その開校から今年で85年を迎えた。
設立の明治期について、小樽史からその要旨を紹介したい。
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『明治30年ころから北海道に大学設立の運動があり、この情勢下に当時興隆期に向っている小樽では、街の性格から高等商業学校設立の要望がみなぎり、32年に小樽区議会から政府に対し設置の要望をした。続いて38年には、北海道議会も北海道開発の一環として、札幌農学校の大学昇格に併わせて、小樽に高等商業学校を設立する建議を行なった。そして40年にはその設立が認められた。
明治41年から、長崎高等商業学校の建物に準じたといわれる校舎の建築に着手した。43年には、文部省直轄学校に追加され、同校職員の定数は、校長、教授2名、助教授2名、書記名と定められた。翌44年には渡辺竜聖が校長に任ぜられ、また、入学試験により72名の学生が合格した。
これらの学生は、地元をはじめ全国から集まったが、卒業のときは50名に減じたという。なお、授業開始に当っては、職員の定数が増加された―…。』
また、校舎の一隅には、石けん工場が新設され、研究部、企画部、製造部、原価計算部があり、学生が仕入れ、製造、市場調査、労働管理などを行なった。
大正時代、当時在学中の伊藤整や川崎昇は、この有名な高商石けんを部費充足のため、花園公園通りの夜店で販売していたのである。
A 明治・大正期の小樽港で、沿岸は区民のあそび場でもあった
B 明治期における小樽商高校舎の全景
C 同校舎の正面も風格のある建物であった
D 絵はがきにもなっている商科大学の正門
~小樽市史軟解 4
岩坂桂二
月刊ラブおたるより
HISTORYPLAZA 90
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