日本郵船小史4 (四)明治時代後期(明治31年ー45年)その1
2015年12月25日
函館、小樽は北海道沿岸航路の終起点として、小樽は西海岸及び奥地を、函館は東階段を経済圏に収め仲継港として繁栄したが、鉄道の発達(附図2参照)に伴い小樽のヒンターランドは拡大し、更に日露戦争後樺太千島の仲継基地として小樽は繁栄の一途を辿った。但し、釧路への鉄道貫通により、道東は38年(1905年)頃より釧路中心の経済圏の形成が始まった。
室蘭は40年(1907年)より製鉄所・王子製紙工場の設立により 漸次その経済圏を拡大して行った。
(1) 航路の変遷
(イ)逓信省命令航路
18年の政府命令航路は33年(1900年)10月に期間満了となるに先立ち命令航路の改廃が行われ、33年7月12日附命令書(39年9月満期)により新命令航路が命ぜられ、北海道関係は次の3線となつた。
神戸・小樽東廻線
神戸・小樽西廻線
青森・室蘭線(函館寄港の三港定期船路)
明治35年(1902年)5月に逓信省の許可を得て、神戸、小樽西廻線5隻を6隻に増加し、従来の毎週1回定期を維持して横浜まで延航して貨物の流通の便を計った。
『北海道の開拓にとって、船が、港が重要だったんだ。』
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