ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 高島場所⑥

2017年09月22日

 茨木与八郎 高島郡祝津村

img_1120

 

 茨木家は代々与八郎を襲名している。四代与八郎は羽後国飽海郡比子村字青塚に生まれ、万延元年(一八六〇)鱈釣漁に祝津に来住、石狩川の鮭漁などにも出稼して蓄財し、明治十年(一八七七)に三橋石蔵の漁場地を入手してから建網漁に進出しはじめた。

 次いで豊井の松本松三郎漁場地を青塚亀蔵から、さらに本村旧二十五番地に相当する宅地、海産干場を西川家から取得している。明治二〇年には祝津村で「行成網」一六統を経営していた。(山田健氏よりの聞きとり)

 昭和六年の時点では鰊定置漁業権を祝津で一二統、その他「出張漁場」として本拠の対岸にあたる浜益のタンバケに一統、増毛の赤岩に三統を所有していた。

 合同漁業(株)の株式五七株を取得しているのは、これら漁業資産の一部を現物出資したものであろう。

 昭和六年における茨木与八郎の鰊漁業権は一六統を数えた。

  茨木与八郎 高島 一二 浜益 一 増毛 三 計 一六統