雪国の四季 (その2)
2015年04月07日
小樽は坂道が多い。ちょっとした坂道でも楽にすべれるので、子供達は皆、スキーを楽しんだ。今日みるような本格的なスキーではなく、竹の割ったのに、臘を塗って雪下駄の下にくくりつけて辷る。私が小学三年生頃まではゴム長は履かず、わら靴をつかっていたので、下駄の下に金物のスケート(ゲロリと呼ばれた)をつけて、雪道を辷った。ゴム長を履くようになってから、着物にゴム長を履いて、それを金具でスキーに留め込んで辷った。転んで靴がぬげて、スキーだけ先に辷って行くことは日常茶飯事であった。ゴム長は、当時、高価であったので、むしろ橇辷りが盛んであった。箱(木製で、みかん箱から、大人二人が乗れる立派な山毛欅の木まであった)の下へ、辷りのよい金具をつけて、人が雪道を引くのである。これが案外役に立った。雪の多い時は、一晩に一メートルも降ることは珍しくなかったから、一面に積もった雪の上などはこの手橇で人を運んだ。箱の中へ炭団を入れた行火(小さい火燵)を置いて人が手橇をひいて行くのはよく見られる光景であった。
昭和になるとスキーが盛んとなり、皆、スキーに夢中になった。私共も女学校の体操の時間は、スキーをかついで、その頃はやり出した乗馬ずぼんをはいて、長い毛糸の襟巻をし、正ちゃん帽をかぶって、女学校の裏の公園へ辷りに出かけた。基本的技術を知らないから、直滑降で辷って、怖くなると、転んで、止まる以外に方法はなかった。子供の身体は身軽で、案外怪我もしなかった。スキーは年々盛んになって、遂には、天狗山(小樽で一番高い山)にジャンプ台が出来たが、狭い空地もすべてゲレンデになった。スキーは根雪になる十一月から四月ころまで楽しんだ。
大正十年に女学校として初めてスキーを正課に取り入れた庁立高女(現桜陽高校)でも当初、単杖スキーを教えていた。
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