いなりの坂 後編
2015年03月25日
いなりの坂を下りると左に「ちどり公園」があります。その中には「朝里学校教育発祥の地」の石碑が建ち、明治9(1876)年にこの場所に開かれた朝里教育所が、現在新光2丁目にある朝里小学校の始まりであったことを伝えています。
明治9年といえば、北海道大学の前身である札幌農学校が開校した年。教育所の前に線路が敷設され、弁慶号が初めて走ったのはそれから4年後のことでした。小さな漁村であった朝里の人々が早くから教育に対して特別な思いを寄せていたことを表すものです。しかし、朝里の教育はさらに過去に、意外な出来事から始まっているのです。
年号が明治に改まってまだ間もない明治2年9月のある朝、朝里の沖に、何十隻もの船が前触れもなく出現。船上には、刀を腰に差した大勢の武士の姿が見えます。浜は騒然となりました。
続々と浜に上陸してきたのは、元会津藩(現在の福島県)の藩士でした。彼らは戊辰(ぼしん)の役で官軍に敗北し、明治政府から北海道に移住を命ぜられたのです。その後も、藩士とその家族の上陸は続き、総勢約3000人にもなりました。(※)
冬の間に
いまの朝里橋が出来る前は
この辺りにトンネルがあり
熊碓と繋がっていました
そば会席 小笠原
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