住吉神社~変わらぬお祭り好き
2015年07月16日
上~大正時代の住吉神社。木のサクに和装の参拝人がみえる
下~現在は樹木もうっそうと茂り一段と荘厳さを加えている
~変わらぬお祭り好き~
小樽の人は祭りが好きだ。新緑のころから夏の終わりにかけて、ほとんど連日のように、街のどこからか、笛や太鼓の音が響いてくる。
祭りシーズンの圧巻は、なんといっても潮まつりだろう。
市民パワーを爆発させたような、潮ねり込みの踊りの隊列。主会場の公園グランドに溢れる人また人の渦。
普段静かな小樽の街のどこに、これほどの人がいたかと思わせるような、圧倒的な迫力がある。
小樽の祭りのにぎわいは、ニシン千石場所の時代からの伝統でもあるらしい。
古い記録をたどれば、文久三年(千八百六十一年)六月の弁天社祭礼にさかのぼる。
弁天社は、当時の小樽の経済、交易の一切を握っていたオタルナイ場所請負人・恵比須屋半兵衛が〝守護神”として祭った神社で、祭礼には小樽の顔役たちが勢ぞろいして、空前のにぎわいを見せたとある。
だが、伝統と格式を誇るといえば、やはり住吉神社の祭典が一番だろう。
御神体は明治元年、小樽・高島の総鎮守として小樽に鎮座。一時、入船河口高台の弁天社の“ほこら”(この連載二回目で紹介)に遷座され、その後幾度か社地が替えられて明治十四年現在の地に移された。
小樽・高島の鎮守社だけに、その祭典は年ごとに隆盛を極めたが、運営間もない時にはいろいろ苦労もあったらしい。
明治十七年の記録には次のように記されている。
「この年は、小樽港がかつてないニシンの豊漁で、その祝いに祭典を行う事になった。ところが神社には神輿(みこし)もなければ、行列用具もない。そこで漁業用具で祭りのどうぐを作った。弓は釣りザオ、鉄砲は棒、台笠(がさ)にサケの刺し網、長柄にコンブという具合である。…」
想像を絶する御興渡御であったらしい。
然し祭典は、盛大かつ豪華けんらんたるもので、各町会から船形の恵比須や、弁財天の山車が繰り出し、山車の上では芸者が踊るなど多彩な芸を披露したとある。
なかでも、ニシンの山を築いた勝納町の熱の入れようは大変なもので、強制的に全町民が祭典に参加する規定を作り、参加しない者から金五円=当時の米の値段は一石(約百五十㌔)で六円前後=と巨額な“罰金”を徴収し、これでドンチャン騒ぎを演じたそうだ。
ハデ好きなのか、血が騒ぐのか。小樽っ子の祭り好きは、どうやら、いまも昔も変わらないようである。
~おたる今昔 読売新聞編
(昭和55年9月17日~10月21日連載)より
祝詞をあげ
奴の舞い
祭囃子
住吉さんへ
信香町会でも神輿が
商売繁盛
『向こう側に‼』
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
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