花園十字街~悪路の汚名消え車公害
2015年07月26日
~おたる今昔 読売新聞社編
昭和55年9月17日~10月21日連載より
なだらかな坂道を、荷馬車が通る。自転車が行き交う。
若い女性だろうか。幅広い道の真ん中を、スカート姿が落ち着いた足どりで歩いている。
個性のある往年の町並みは、昭和十五年ごろの花園十字街。中央に道は札樽国道~いまの国道五号線である。当時の、おおらかな交通事情を、じっくりご覧いただきたい。
それにくらべて、現在の国道は殺人的だ。車ラッシュでドライバーも気が立っているのだろう。青信号で対岸に渡る時でさえ、車が横をすり抜ける。
暴走族とやらが、狂ったように車体をきしませて突っ走る。
「道路には今も昔も泣されますなあ」
小樽文化史の執筆者・渡辺悌之助さんの意外な話。
写真の時代は、道路も相当よくなっているが、昭和の初めころまでは、小樽の悪路は有名だったそうだ。
石川啄木が小樽日報の記者だった時に「小樽の道路は日本一の悪路だ」と酷評している。
「小樽の街は、水はけの悪い粘土質の場所が多くてねえ。雨が続くと荷馬車の鉄輪が地面にめり込んで、巨大なワダチの跡を延々と続かせるんだ」
なかでも荷馬車の往来の激しい色内、堺町かいわいの道は目もあてられない状態となる。ひどい場所では、道に厚い板を横に並べて“板の道路”が作られた。
「ところが、板の間にゲタがはさまって身動きできなくなるし、荷馬車が横を通れば板の間からドロ水が吹き出して来てドロをかぶる。えらく往生しましたねえ」
この道路も、後に砂利道となり、石だたみやレンガ道も登場する。現在は、市内の主要道路は殆んど舗装された。
だが、いまは車時代。騒音公害に排気ガス、春先には昔の馬フンに代わって車粉公害が巻き起こる。なんとも皮肉な結果である。
海を眺めていると、
漁船が並んでいます
勇ましい潮太鼓の音も聞こえてきました
そば会席 小笠原
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