旧青山別邸(小樽市祝津三丁目)

2023年07月01日

CIMG9394小樽・ひとと建物 今村敏明

北海道新聞 昭和31年4月27日~5月18日連載より

 小樽市・祝津小学校下にあるこの建物を、建築にたずさわったオタモイの斉藤勘蔵さん(八十四)に、詳細な説明を受けながら、見て回った。

 青山家の歴史は古く、明治六年(一八七三年)、初代留吉が山形から祝津へ転住し、漁を営んだのを始めとする。

 大正七年(一九一八年)、二代目政吉は、この別邸建築にとりかかった。棟梁(とうりょう)は勘蔵さんの父親で、二十六歳のとき、同家豊井の番屋建築のため、初代留吉に山形県酒田から呼び寄せられ、以後父子二代にわたり同家の“お抱え大工”を務めた。斉藤子(ね)之助であった。

 お抱え大工は一般の大工と違い、生活も安定していたが、その反面、なまなかの腕では務まらず、住宅建築をはじめ、番屋、土蔵、石倉、船倉、漁船の建造・修復や指物など、高度でオールマイティーな技術が要求されていた。

 別邸建築中の大正八年、不幸にも青山家本邸が火災で焼失。すぐ再建にかからねばならなかったが、子之助は手が回らず、同家では小樽の大虎・加藤忠五郎に請け負わせた。この年、勘蔵さんが兵役を終え帰還、別邸建築に加わる。すべての建物が完工したのが同十二年。何と六年がかりであった。

 総かわらぶきで、母屋、離れのほか、玄関正面に文庫倉、床やなげしはケヤキのうるし塗り、床の間が七、八つもあり、大黒柱はシタン、コクタン、タガヤサン、クワなどを使い母屋中庭に面した座敷天井には、幅三尺(約九十㌢)の神代(じんだい)スギが張ってある。

 外回りにはいたる所に彫刻が施してあり、懸魚(げぎょ)のデザインは“たばね渦”。子之助の腕は名人級で、随所に高度な技術を駆使しているが特に軒下スミにスミ木とタル木を結ぶ“ひよどり線”という細工が子之助一番の自慢だったとか。

《指定第3号→国指定有形文化財》

CIMG9595祝津小学校~今は閉校

CIMG9569文庫倉

CIMG9573「どうぞ厚手の靴下を履いてください。写真撮影はご遠慮ください。」

 ※なげし~日本建築で柱と柱をつなぐ水平材

CIMG9611襖絵や掛け軸、置物の作者には

多門・玉堂・柳塢・楓湖・素友・草風・蓼州・渡風などの名が。

そして、鉄舟・大雅・不折・岸禮・應陽の名も。

 

CIMG9614洋間には

・「人物のいる田舎の風景」(ウォルター.H.ウィリアムズ作)

・ブロンズ像(ヒスイの台座の時計、弓を射る女性)

・「舟を待つ貴婦人」(ルシアン ディビス作)

 

〇有田焼でつくられたトイレ

〇大理石と御影石の軟石を混ぜて作った手洗い

〇風呂の天井はドーム型~一枚板を技術・加工

〇たも材の木目が美しい階段

〇紫檀の欄間、白檀の欄間~夏、廊下の戸を開け風通しを良くした時、ビャクダンの香りが・・

〇百寿の屏風(とほうもない時間をかけ作製した黒檀の屏風)

〇加賀百万石前田家より高田藩主榊原公(十五万石)に拝領の・・・

〇芸者の着替えのためのへやにあった螺鈿の細工を凝らしたタンス

 (残念ながら引き出しが…ほんとうにざんねんです)

などなど

 

一緒に見学していた建築関係者の方々の会話から(なげしを見ながら)

「これ、すべて柾目だぞ。杉の一本もの。トッラックでは運べんなあ。よくあったもんだなあ。相当、太い木だぞ。」

「これ、檜か?」

「檜だ。」

『木の姿や作る時の苦労が見えるんですね。5月小樽を訪れる建築会社の方たちも「青山別邸は外せません。」と、いっていました。』

 

外で手入れをしている方に

 CIMG9590スミ木とタル木を結ぶ“ひよどり線”というのはどこの事でしょうか?

CIMG9584ここだよ 今では誰もこんな細工はしないね。あまりにも手間もお金もかかるしね

CIMG9587懸魚は

CIMG9585これだよ

ありがとうございました。

 

 『元場(本邸)は、加藤忠五郎が建築を請け負った。それは移転して残す価値はあるな。』

 

~2015.3.31