港~過密から“過疎”の船影
2014年11月08日
二枚の写真をご覧いただきたい。古い写真は小樽の絶頂期。大正十二年ごろに撮影された。一方はほぼ半世紀後の現在の小樽港。
繁栄時代は、船影が港をぎっしり埋め尽くし、岸壁はビル新築の真っ最中。港に生きた男たちの、荒々しい声が聞こえてくるようだ。
それがいまー。港に新しいふ頭ができ、町並みも変わったが、港内に船影はほとんど見られない。青い海が、ただ静かに広がるばかり。
かつて建設のツチ音を響かせた岸壁のビルも、半世紀の風雪に色さび、往年の残影をとどめているように見える。
「昔の繁栄を取り戻すことは、もうできんかもしれない・・・・・・。」松川嘉太郎さんはつぶやくように話した。
松川さんは満九十歳。かつての本道財界を牛耳り、いまだに隠然たる影響力を持つ経済界の重鎮である。
明治三十八年、満十六歳の時に福井県から小樽に来た。いらい七十数年間、砂糖相場で財を築くと同時に、小樽の街の移り変わりをつぶさに見てきた。いわば小樽の生き証人でもある。
「昔の小樽は、街も港も活気がみなぎっていた・・・・・。それだけに商売も激しくてねえ。私もいろいろ手を出したが、商取引の手数料だけじゃあ、とても経営は成り立たん。そこで砂糖相場にカラダを張ったわけだ。」
むろん当時と現在では、経済事情も大きく違う。松川さんにしても浮沈の足跡は残されている。
だが相場できたえた先を見通す眼力。長く財界のトップに君臨していた経験は、時流や年輪を超えた説得力がある。
「なんぼカラ元気を出したって、大きな流れには勝てるものではありません」
~おたる今昔 読売新聞編(昭和55年9月17日~10月21日連載)より
7隻もの船が・・・。
11月7日の小樽港
そば会席 小笠原
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