鰊場のうた(2)~”うた”で始まり、”うた”で終わる

2014年12月22日

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 ホーホラ櫂、ホーイ櫂、インヤラホイ、石狩囃しなどといろいろある。歌詞は省略するが、その歌の目的、内容が皆違う。これらは同じ船漕ぎうたであっても陸から沖の建場まで漕いでいく短距離の場合と、遠くの方へ荷回しとか追い鰊などで長時間も漕ぐ場合などでうたの用いかたが違ってくる。

 何時間もの間同じ単調なうたばかりだと若い衆が退屈してくる。その時、節回しや歌詞の変わったうたで気分の転換をはかったり、間合いをとった節回しで、わずかながら櫂を漕ぐ腕を休めるようにする。また力を込めたり力を抜いたりする節回しもある。この船漕ぎうたは若い衆の出身地とは関係ないようだ。鰊漁場の若い衆なら誰でも知っている共通のうたである。

 俗に”船漕ぎうた”というが、”うた”でないと思う。むしろ”かけ声”といった方がよいかも知れないが、他に適当な呼び方がないので”鰊場のうた”と称したい。

 「鰊場の仕事は”うた”で始まり、”うた”で終わるものだ」とある鰊漁場の老親方がしみじみとかたっていたのを思い出す。北海道のいろいろ数多い産業に従事している人達が、その作業内容にふさわしいうたをつくり、そのうたに合わせて生産にいそしんできたのであろう。鰊漁場もそのうちの一つであって、百年以上も前から本州の各地方から集まってきた大勢の人達が呼吸をそろえ、力を合わせて鰊を獲るのにテンデンバラバラでは何も出来ない。めいめいの力を結集させるのに誰か一人音頭をとる。それに全員がシタゴエと共に力を合わせる。そのおんどとシタゴエが内地から持ち寄った地方、地方の古くから伝わるいろいろなうたが、いつの間にか一つのものに形づくられ、“船漕ぎうた”“キリ声”“子叩きうた”などに区分され、鰊漁場の大勢の若い衆の力の結集に用いられてきたのではないだろうか。

 鰊漁場(建網)一ヵ統に二十四、五人の若い衆がいる。漁期前から漁場に来て準備、漁獲、製造、切り揚げまで、部門的にも随分とたくさんの作業がある。保津船の上げ下ろしから船漕ぎ、胴網、垣網の投網から揚網、乗網した鰊を枠網に攻め落とす、枠網から汲み船に大だもですくい上げる、沖揚げなどはすべては大勢の力がそろわなければ達成できないものばかりである。

 この力を一つにまとめるのに用いられるのがかけ声でもない、はやしでも変だ、音頭ともいいきれない。結局うたというしか適当な字句がない。それも単なるうたではなく鰊漁業という産業にふさわしい一種独特の雰囲気をかもし出したうたになったと思われる。いうなれば鰊漁場の労働のうたといいたい。

 

※保津船~普通鰊漁場で使う船の呼び名で、枠船、起こし船、汲み船などのことをいう。