節分の豆 (前)

2015年02月03日

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 立春前日の節分の豆散きの行事は、昔も今も鰊漁場や一般家庭でも盛んに行われる。

 升に、焙り煎った大豆を入れ、神棚に供えてから、「鬼は外福は内」といいながら各部屋ごとに散く。この豆で節分の夜漁家の主人が豆占いを行う習慣がある。

 漁村の家庭では、当時どこでも大きな炉を仕切ってありそこで煮炊きから暖をとるのが通常であった。薪を焚くので炉鍋にはいつでも燠が赤々とある。

 家の主人が炉辺に座り、家族も傍らに座り、一同の見守るうちに、主人が神棚に上げた升の中の豆を、いろりの灰の上に順よく並べ、心の中で端の方から余市、忍路、祝津、張碓、浜益、留萌といった順序で場所を定め、火鉢で燠を除け、白く変わった豆の場所が豊漁のところ、黒く焼けた豆の場所が不漁のところと判断する。

 次に白く変わった張碓方面を中心として、また別の豆を並べ端の方から高島、熊碓、朝里、張碓、銭函、厚田と心の中で場所を定め、また豆の傍らに燠を火箸で寄せ、豆を焼くのである。

 こうして節分の豆占いで

「今年の鰊漁が豊漁か不漁か、豊漁ならどの場所に鰊が多く郡来(ぐんらい)するか、自分の建場の位置が豊漁なら、これの対策として鰊の製造の準備も昨年よりぞうかしなければ・・・・・」

 と考えるのである。

 漁村の節分の豆占いは必ずといってよいほど行われた。

 一方、春早く漁場へ建網一ヶ統の責任者として乗り込む船頭も、毎年自分の行く漁場の豊漁不漁の豆占いは自分の家で行うが、別に節分に神棚に上げた豆をお守りとして袋に入れ自分の肌身にいつもつけている。

 昔の鰊場の船頭なら、ほとんどの人が節分の豆をお守りとして肌身から離さなかったようだ。

 鰊漁期も熟し、産卵のため鰊が接岸し建網に乗網し、各漁場共に一せいに枠廻し、“キリ声”をかけて威勢のよい網起こしが始まったが、自分の建網の口前のところまで鰊が見えているのに一向に乗網しない。

 さあ、こうなると船頭や若い衆達の気持ちは大変なものである。

 いろいろ複雑な状態でなんともいいようのない焦り、苛立ち、それに面子などで、いても立ってもいられない気持ちになる。

 この時になると船頭は肌身離さずお守り袋に入れていた節分の豆を、心の中で日ごろ信心している神々に祈願を込めて、建網の口前のところにバラバラと散いてやる。

 すると不思議にも、口前のところでウズを巻きながらなかなか乗網しなかった鰊が、途端に網に乗り始める。

 満を持していた若い衆が一ぺんに活気を戻して、にしんを枠網に攻め落とし最後には隣漁場と遜色ないくらいの漁獲をあげる。

 こういう話をたびたび聴かされたものである。