なぜ幻の魚に (十)
2014年11月23日
聞くところによると厚田川の流域とその上流まで二万五千㌶の国有林があるそうだ。戦時中から戦後にかけて北海道の山林から、あまりにも木材を伐採され過ぎたようだが、ただ厚田方面だけ残されたらしい。
それがこの厚田の鰊と結びつけて考えてみるとなるほどと頷くものがあるのは私一人だけだろうか。
また厚田の人には悪いが戦後もあまり発展しなかったせいもたぶんにあるようだ。
この一例にあげた厚田川流域の森林と鰊の結びつきの問題が、もし私の偏見で間違った解釈をしていたら大変申し訳ない次第だが、鰊問題を原点に返ってみた時に、そこになにかがあるような気がする。
いま我が国の漁業は遠洋、沖合ともに重大な危機に直面しており将来の展望は育てる漁業にかわりつつある。
この蛋白質資源の育成確保のため国でも道でもなかなか大変なことだろうと思う。水産試験場の方々も日夜苦労されておられることと推察される。
素人の私からの提案なのだが、北海道の沿岸で最も自然に近い状態の場所を広範囲に指定し、五十年か八十年くらいの長期計画を樹て、森林、河川、沿岸などの綜合的な施設をほどこし、将来鰊の接岸し易い環境をつくることにしたらどんなものだろう。
これが実施し成功した時は、鰊の郡来(ぐんらい)が見られ、往年の夢が再現され、地元の人達も決してそろばんに合わぬことにもならないと思うし、海が自然の状態になった時には必ず他の魚介類も多く獲れるはずだと思われる。~おしまい
喜びと嘆きの八十年~最近、わが国の漁業はソ連、アメリカなど各国の漁業専管水域宣言で厳しい規制を強いられ、遠洋、沖合漁業とも将来の見通しは暗い。
改めて育てる沿岸漁業が見直されてきているが、回遊魚の鰊にもう一度きてほしい、と願うのは私ばかりではあるまい。
しかし、年代的にもその漁法を知る人たちが間もなくいなくなるのは寂しい。
なお鰊の漁獲には刺網、建網、曳(引き)網の三方法があった。北海道では曳網はほとんど使用されず、建網、刺網が多かった。
明治十八年(一八八五年)に鰊の角網が積丹の斉藤彦三郎氏の手によって実現された。~おしまい
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