旗亭 海陽亭  その二

2014年09月21日

 つい先々月。嘗つて三井物産小樽支店におられた木村岩五郎氏が久々に小樽に来られ、すきのない旅程を割いて海陽亭の玄関を訪れ、宮松女将と記念撮影をしたが上る時間もなく辞去したという。四十年前三井物産のバリバリの若手木材課長としてきかん坊で豪酒家であった通称岩さんが海陽亭の前を素通り出来なくて、ついにバスを待たして懐古の想いをいやした一幕ということだが、木村氏だけでない。美妓嬌妓三百を擁した頃の華やいだ海陽亭の宴に、又は秘な微吟低酌に思い出を残す人の数は計り知れない。札幌出身の森田たま女史は別懇の間柄とあるので別としても、文筆家の筆に小樽の海陽亭の名が可なり書かれていることもそのためであるが小樽人は余り知らないらしい。

 ついこの間、小説新潮十月号に海兵小説の豊田穣氏が海陽亭の名を書いている。物語は士官候補生の父が零落しかけているのに、遊びが好きで海陽亭で豪遊した話であるが、一度は小樽の海陽亭で遊んでみたいというのが昔の男共の夢であったということである。

 樺太領有以来、その商権は尽く小樽にあった。樺太と本土との連絡は小樽大泊間の船便が唯一つのものであったからこれは当然でもあったが、稚泊連絡船が出来た大正十二年以降でもその商権は動かなかった。樺太の産業経営の本拠も亦小樽であった。

 

タイムマシン小樽  田辺 順

月刊おたる 昭和48年3月号~48年12月号連載 より

 

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南樺太

CIMG5995望郷 樺太 国書刊行会より

 

CIMG5996島都豊原市

CIMG5997豊原駅前通り

CIMG5998全島唯一の樺太庁博物館

 

 

新そば

CIMG5994種を厳選し、育てている摩周そば(弟子屈町)、是非この機会にご賞味ください。

限定10食

11:00~15:00

22日(月)

23日(火)

24日(水)

25日(木)

26日(金)

 

28日(日)

29日(月)

30日(火)

予約は要りません。