なぜ幻の魚に(五)
2014年10月04日
春鰊群の分布、数量の変動が海洋条件に強く左右されるということは明治の末期ころからしられており、証明されている。沿岸の水質などの悪化で局部的には産卵鰊を寄りつかなくしたり、稚魚を殺したりしたことは無いとはいえないにしろ、春鰊の大勢を左右したほどのものとは考えられないといっている。
この例として昭和十年以降の漁獲量がぐんと減ったため、道では昭和十三年、鰊繁殖取締規制を設けると同時に、禁漁区を決め、全面定置漁業権を使えない様にした。昭和十四年から実施された着業数の抑制、禁漁区の設定、人工孵化などで効果があったかというと、効果は見ることが出来なかった。
少なくとも鰊は自然条件によって数量の大きく変動する可能性を持つさかなである(大西洋鰊の例で立証されている。)従って鰊の数量変動の説明に、人為的影響を持ち込むにはよほど強い根拠の必要があることになってくる。
以上述べた通り、春鰊の北海道西海岸の回遊がなくなった原因、理由については過去からのいろいろな出来事や、学者の説明などで、大体の輪郭がわかったような気もするが、わからないのが本当のようだ。鰊が幻の魚といわれるようになって久しい。
往年の鰊漁場で活躍した人々も年々いなくなってくる。鰊漁獲、製造の技術も忘れ去られ、大漁漁獲に用いられた漁網、漁船、漁具類もいまでは博物館か記念館でしかみられなくなってしまった。さびしいかぎりだ。
喜びと嘆きの八十年~話は前後するが、昭和六年の鰊漁は豊漁だった。前年の不漁で大事をとり、私の漁場も熊碓、張碓の二ヵ統にとどめたが、張碓一ヵ統で千二百石(九百㌧)もの漁獲があった。
張碓の恵比寿島から小樽港まで二百五十石(百八十七.五㌧)の入った枠船を引き船で引いてきた。普通であれば短時間の往復も、この時ばかりは片道四時間がかりの引航だった。
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