なぜ幻の魚に(四)

2014年09月28日

  彼は生前、持論としてよく、鰊は環境をつくってやらないと自然と来なくなるといっていた。河川の奥地に落葉松が植えてあったり、雑木林があると、落葉が積み重なり、その下から流れでる液や発生する虫が、早春に雪どけ水と共に川から海へ流れ出て、それが鰊の稚魚が成長する大きなエサとなるのだという。

 事実、林の中の一にぎりの土を手にとってみると、枯れ葉や枝の切れはしが、黒土の中にまじっているのがわかる。この土をルーペで見ると小さな虫たちが動きまわっているのが観察される。だいたい一平方㍍に数万匹の虫がおり、生物の生きた営みがある。

 鮭は産卵のとき、生まれ故郷の河川に戻って来て上流において卵を産み、そのままであるが、鰊の場合は自分の産んだ卵が孵化後約三か月経過して、六、七㌢に成長し充分、生育できるようになってから沖合へ去る。一般親子の情愛は鮭が一番ふかいといわれているが考えてみると鮭より鰊の方が我が子を案じていることになる。

 昔から、北海道西海岸で、松前・江差方面から、寿都・磯谷・美国・古平から余市・おたる・増毛・留萌と鰊の獲れる場所が決まっていた。これらの場所をよく観察してみると、周囲に大小の河川があり、それらがみな清流で、奥地には自然の山林がうっ蒼として、鰊の産卵に最適値である。が、反面鰊の獲れなかった場所がいくつかある(全然獲れないというわけでもない)。

 よくみると河川の奥地に砿山があるとか、工場の廃液が河川に注入されているとか、湾内から汚水が流れ出るとか、鰊のいやがる要素が含まれている。

 その理由として、海流の変化、鰊の濫獲、水温上昇、河川の汚毒などをあげいずれも原因のひとつをなしていることと思われる。

 もし今後鰊の回遊を望むなら、長期的に環境づくりに取り組んで鰊の来やすい、住みやすい、育ちやすいように整備すべきと思われる。

 

 この意見は一般的な人為的概念論としていわれているが、これが正しい見方であるかというと疑問があるようにも思われる。学者は人為的影響(漁獲、水質汚濁など)か、それとも自然的影響かというと一応両方とも考えられるといっている。

CIMG5952熊碓川

 

 

DVC00003.JPG喜びと嘆きの八十年~幸い我が家の漁場は、平均的な漁に恵まれたのと、曽祖父以来の厳しい経営で持続させることが出来た。昭和五年の不漁時にも、一ヵ統の大漁で救われるという幸運もあった。

その年はどうしたことか、 鰊の回遊は前年までと違った。石狩川を中心に、以南の漁場は漁が皆無、以北の漁場が豊漁という年だった。

 私のところも四ヵ統を建て込んでいたが、熊碓、張碓、祝津中山(小樽市)では一尾の鰊も乗網しなかった。ルーランだけが大漁、鰊を発動機船二隻で熊碓まで海上輸送、熊碓の浜へ沖揚げしたものだった。

 この年、後志、小樽近海で鰊の沖揚げをしたのは私のところだけとあって、ずいぶん珍しがられと同時にうらやまれもした。多額の負債を抱え込んだ経営者が多かっただけに、いま思っても幸運だった。

 それ以降、鰊漁は続いたものの、次第に量は減少、昭和二十九年を最後に回遊性のものは近海から完全に姿を消したのである。

CIMG5989

 

 

 

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