なぜ幻の魚に(一)
2014年09月11日
私達が過去に知らされてきた北海道西海岸の春ニシンの生態は
①沿岸の海水の温度が攝氏六度内外になると、産卵のため接岸した鰊が適地に産卵を開始し、孵化した稚魚が三か月くらいで二寸五分(七.六㌢)くらいに成長して沖へ去る。
②これが方々から合体して軍団となり、親鰊が来遊した道順を逆に進んで、オホーツク海、千島列島間をへて、鰊の棲息地といわれている宮城県の金華山沖合の深海部に翌年の一、二月ころに達し、一年生となる。
③翌年春ころに二年生鰊となり、北海道太平洋岸にあらわれ、小鰊、馬鹿鰯といわれて漁獲される。
④残りの小鰊はまた金華山沖の棲息地へ戻り、三年目に三年生として北海道太平洋沿岸から、オホーツク海に入る。
⑤四年生になって親魚となり北海道西海岸に宗谷海峡を通って入ってきて産卵の準備に入る。といったように聞かされてきた。
二月下旬か三月に入ると、利尻、礼文の沖合の深海部から南下した鰊の軍団は、沖合から沿岸の海水の温度を探索しながら風と波に乗り、産卵の適地を求めて来遊するのである。
当時聞いた記憶では、南下来遊する鰊の一応の標準目的は積丹半島沖あたりでなかろうかと言われていた。
その間で、例えば寿都・島牧方面の沿岸が適温であれば、そこまで南下接岸する。美国・古平方面が適温であると、方向をその方に転じる。石狩湾までの南方漁場が全般的に高温の場合は、鰊は南方漁場には寄りつかず、石狩川以北の浜益・増毛方面に直行するとか、さらに海温が上昇していたときには離島の天売・焼尻から利尻・礼文といった具合に、鰊は必ず自分の産卵に適したところに接岸するという特性をもっている。
このことは過去何十年の間に実証済みである。
産卵を終えた鰊は体が衰え、沖合に出たあと随所にエサを求めながら日本海北部の沖合へ去り、夏季をそこで過ごし、翌年再び産卵のため接岸する。過去の例をみると生後十数年の生命を保つ鰊もあった。
『喜びと嘆きの八十年~私の曽祖父、内田甚八が、松前から鰊漁業のため、熊碓(現在の小樽市桜)の漁場にやってきたのは安政(一八五七年~一八六〇年)年間だった。
小樽の発展性を見越してか、曽祖父はそのまま熊碓に定着、漁業経営をするようになった。
それ以来私の家は祖父、父、私と四代が一貫して鰊の建網漁業を経営してきた。』
追伸
図書館から今日の目的地へ
ま~るい石の石垣
でも今日は、
手宮線を通って
私の心に、ぐっときた内容の話でした
そば会席 小笠原
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