そういう見方も

2014年08月01日

〇明治期、日本銀行の主要な建物は煉瓦や石で建てられました。本店、西部(門司)支店、大阪支店、名古屋支店、京都出張所、そして、小樽支店と続きます。

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明治45年(1912年)完成した小樽支店の建築費は、37万円。本店と大阪支店に次ぐ3番目でした。

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『小樽支店の設計者は辰野金吾(顧問)、長野宇平治(技師長)、岡田信一郎(嘱託)の3人で長野が実質の設計を担当しました。』

 

~(んんんんんん~。ということは、長野氏が北海道銀行と両方を同時に手掛けていた?)

 

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〇明治42年起工45年完成の建物は一見して石造り風だが、実は煉瓦造り。モルタルで石造り風に表面を仕上げたルネサンス風・パラディオ様式とか。赤レンガの東京駅を設計した辰野金吾の作品。

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銅板屋根のドームが描く曲線が魅力的で、異国情緒をもたらし格好な画材だ、

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 と、好評な反面

 

 

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「日本郵船とともに大家の駄作」と、こき下ろす画家もいる(千葉 七郎「小樽の建物」)

 

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~この本を見たとき、「そういう見方もあるか。」と、感心させられました。

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判断の是非は、ご自分の目で実物の旧日本銀行小樽支店をご覧になってから。

 

〇色内1丁目のメーン道路に面して堂々としたたたずまいを見せる日銀支店の土地も木村所有地で天下の日銀も明治・大正・昭和と永い間、借地で営業していた。もっとも戦後になっての会頭時代《木村円吉会頭 S40年(1965年)~S48年(1973年)》に、支店長から懇望されてとうとう手放したとか。

(会議所の百年・小樽商人の軌跡 第14回運河とフェリーより)