沖縄「歴史の道」を行く~普天間宮へ②

2025年04月05日

〇当山の石畳道より嘉数、真栄原

当山集落を渡った道は、北にむかって延びゆるやかな石畳の道へと続いている。この坂のことを地元の人々は「メーヌヒラ」(前の坂)と呼ぶ。修復整備された石畳道が往時の面影をよみがえらせている。

メーヌヒラからつづく道は、当山集落の中央を通る「ナカミチ」(中道)へと延び、その先のアパート(平敷アパート)の直前まで二手に分かれている。旧道はナカミチを直進するようにアパートの西側を通り、ほどなくして国道三三〇号線によって寸断され、道筋がとぎれている。国道によって寸断されているあたりは、かつ廃道となって放置されている。その廃道より五mほどの西側寄りの国道上に横断橋(浦添第四橋)が架けられ、さらに横断橋の西の端に接して新たに道を開き、その先に延びる普天間宮への道と繋げている。また、廃道の右手(東側)には「テラガマ」と称される洞窟がある。

歩道橋を渡った旧道は、テラガマの洞窟前を左からとりまくように東へ迂回し、ゆるやかな下り坂となって伸びている。前方に展開する集落は、基盤型に区画され、わずかながらも往昔の面影を偲ばせてくれる嘉数であり、集落背後に連なる丘陵は、今次大戦では激戦地となり多くの軍民が戦没したことで知られる「嘉数高台公園」である。

……。

現在の嘉数中学校の正門前あたりの並松は、戦後十余年間も残っていたそうだが、周辺の開発と松喰い虫の被害にあい姿を消してしまったという。嘉数中学校正門前を過ぎた宜野湾街道は、五〇〇mほど先の米軍基地普天間飛行場第二ゲート入り口の道となっている。それより先の基地内の旧道は、全く姿を消してしまっているという。普天間飛行場内に消えた普天間街道の長さは3㎞あまりといわれ、飛行場第二ゲートと北側の第三ゲートを結ぶ線がほぼもとの街道筋だといわれている。

米軍基地に姿を消した宜野湾街道につづく道筋は、普天間中央通りの商店街をつき抜けて、普天間三叉路に至る国道三三〇号線に生まれ変わっている。

 

 

『普天間宮へ行きたいんですが…』

「えっ、歩いて行くの。わかりやすいのは、この先の国道をず~っとまっすぐひたすら行くと着きますよ。時間は、…。」

『ありがとうございます。行ってみます。…‥。』

おそらく、この道で大丈夫だろう と思って国道330号線を歩いていると、

 

妻が『えっ、…。』

なんと、先ほど、普天間宮までの道を教えてくださった方が、車で来ていました。

「どうしても、見てもらいたいところがあります。」と車で案内してくれました。

案内してくれた公園は

激戦の跡が今でも

その高台からは

オスプレイ配備

 

『さあ、普天間宮まで 右側(国道330号線沿い)を行こうか?左側(国道58号線沿い)を行こうか?』

途中に

今でも使われているそうです

登って

ひたすら

歩きに歩き

ようやく

普天間宮

『洞窟は予約制です。』