評伝 山に向かいて 目を挙(あ)ぐ 工学博士・広井勇(いさみ)の生涯

2024年07月14日

著者 高崎哲郎

広井君ありて明治・大正の日本は清きエンジニアーを持ちました。ー内村鑑三

広井君が身を汚さず、心を汚さず世を渡ったことは終生の感謝である。ー新渡戸稲造

 

土木界の先駆者、博愛主義者として知られる広井勇の生涯は今なお光を放ってやまない。知的刺激に満ちており、現代に生きる我々に内省を求め、また勇気を与える。

「人は何をなすべきか」

人類普遍の倫理を投げかけている。

~鹿島出版会~

 

広井の六十七年間の生涯は、日本の近代土木界の揺籃期における先駆者として、ひと時も休息を許さない辛苦勉励のそれであった。その記念碑とも言える土木事業は、港湾として、橋梁として、水害のない河川として、ダムとして、全国各地に残されている。今日においてなお、光芒を放ってやまない。疑う者は小樽港を訪ねよ。また学会、官界、実業界への貢献も一頭地を抜いている。だが、彼の生涯の何物にも代えがたい最大の功績は、多くの優れた門弟たちを育て社会に送り出したことではないだろうか。広井が師と呼ぶべき人物、それは札幌農学校時代のウィリアム・ホィーラーをはじめ少なからざる人物がいる。知友も少なくない。が、しかしそれ以上に氏を恩師と呼び慕う人々ははるかに多かった。私はかつて『評伝 技師 青山士(あきら)の生涯』(講談社)を刊行したが、広井門下であるクリスチャン技師青山士の生涯は広井と内村の影響を抜きにして考えることが出来ない。青山は広井が独力で開いた孤高の道を誠実に歩み続けたのである。

 文学者夏目漱石が多くの傑出した門弟(学者・文学者・芸術家・ジャーナリストなど)を育てたことはよく知られたことである。近代文学史上、これら多くの知識人たちは「漱石山脈」と呼びならわされているが、私はそのひそみに倣って広井の優れた友人知人や門弟たちを「広井山脈」と呼びたい。このたおやかな峰々をなす門弟たちは東京帝大や札幌農学校での数多くの優れた教え子だけを意味しない。工事現場で指導したり、共に働いた技術者たちも含む。 

 内村が追悼で述べた「広井君の事業よりも、広井君自身が偉かったのであります」は、見事にこの精神のエッセンス(「広井山脈」の根源)を喝破したものである。

(「廣井」が正式の名称であるが、本書では「広井」と現代語表記とする)

―序にかえて~「広井山脈」~より

 

せんじつ、高知県から来た方から小冊子をいただきました

発行日 平成24年(2012)年12月15日

編集発行 佐川町立青山文庫

〒789-1201 高知県高岡郡佐川町甲1453-1

名前を知っている方がいました…