日本にその名 中野正市
2025年02月02日
〝中野かりんとう〟でのす
『その名あり中野かりんとう日本一』中野製菓の社長室の一角に飾られている色紙の通り、製菓業界では、中野かりんとうといえば知らぬものがないとまでいわれている。
正市は大正元年静岡県浜名郡庄内村で農業を営んでいた桔川亀太郎の三男として生を受けた。家事を手伝うかたわら実業補修にかよい農業の道にはいるつもりだったが、」小樽市内で中野製菓を開いていた中野竹三郎と父親の亀太郎がたまたま知り合いで会ったことから昭和三年七月中野製菓に奉公に出された。当時十八歳だった正市は不安感と未知の土地へ行く希望で複雑な気持ちで来樽、口数が少ないうえ陰日なたなく働く姿に竹三郎がほれ込み、子宝に恵まれない竹三郎は正市を養子として迎い入れた。
昭和十七年正市は店を継ぎ、社長のイスにおさまったが、第二次世界大戦の戦火がきびしく物資不足から工場を閉鎖してしまった。閉鎖とともに苦しい生活が続いたが、終戦間もなく食糧や菓子など日本中で不足していたため、工場から出荷する商品はおもしろいぐらいさばけ、製造に追われるとともに、大金を手にすることができた。昭和三十年事業を伸ばすため工場の拡張をはかり、株式会社に切り換え中野製菓株式会社として再発足した。
色紙が示すとおり同社が最も力を入れているのが『かりんとう』いまでは六種類ものかりんとうを正市が考案した特殊な機械でつくり、道内はもとより、本州方面にも出荷〝中野のかりんとう小樽にあり〟で製菓業界では広く知れわたり業界を通じて、小樽に貢献している。
正市はいつも口ぐせのように『地位は運でやってくるものではな自分の努力努力があって初めてやってくるもの』と知人や社員にいい聞かせている。性格も物静かでどちらかといえば人情もろく、友人の困りごとは自分の困りごとのように考えて、頭を悩ましている。また世話好きで小樽ライオンズクラブに所属しているほか、真栄地区の町内会長をしており、市発展のためには寄付など惜しげもなく投げ出し第二の故郷小樽を愛し続けている。
三十五年間兄弟のように付き合いを続けている小樽市港町五二吉川商店吉川一郎社長は『長い間付き合っているが、人間味も豊かで正直な人です。ウソもほう弁というが、この言葉が通じないほどです。他人の困りごとでもだまってみてられない性分なんですね。本当によい友だちを持ったといつも喜んでいる…。』と人間正市を語っている。
(敬称略)
小樽経済百年の百人㉝
北海タイムス社編
昭和40年8月
そば会席 小笠原
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