沿岸貿易に力 倉内嘉蔵
2024年01月20日
『小樽港三人の男』
‶中期小樽政、財界の功労者〟として、いまなお語り草になっている嘉蔵は、元治元年春四月、佐渡は二見村の生まれ。回船問屋の長男として、この世にココの声を上げたが、豪商倉内仁吉の養子となり、明治二十二年、二十六歳で小樽入りした。
仁吉の父、忠左衛門は、嘉永から安政年代にかけ、樺太交易の番勤役に任命され、樺太や露領ニコライスク 調査、名字帯刀を許された北方開発の功労者でもあった。養父仁吉も、家業である呉服雑貨商を一層拡伸、酒造業、しょうゆ、味そ醸造業を新たにおこすなど、小樽経済の発展に尽くし、小樽港を中心とした沿岸交易にも名を高め、増毛の本間泰蔵、苫前の麻里英三とともに『小樽港三人男』の異名をとっていたほど。
こうした環境に育った嘉蔵は、人をいつくしみ、温和な性格、非常に信仰心が深く人に好かれた。性格的にきれいな人柄が、商売にも連なって、ムリのない商売をすることでは、定評があった。
しかし商売のヨミは鋭かった。とくに父仁吉の業を継いでからはいっそう事業の伸張をめざした。回漕店を増毛の本間汽船部と企業合同するいっぽう、酒造、醤油、味そ醸造に力こぶを入れ、さらに農場、漁業の分野にも進出、『道内一の酒造業者』といわれ、本道経済の発展に尽くした。
人のめんどうはあとあとまで見た人で、農場、漁業、倉庫、海運などで活躍した本間泰蔵、呉服商亀尾紋造など本道経済の先達として、たたえられている人たちも、若かりしころはみな、嘉蔵のところにワラジをぬいで、苦労を積んだ。いわば嘉蔵が手塩にかけて育てた商人(あきんど)だった。
明治三十二年、小樽に初めて自治制が施行になった時には初代区会議員となり、初期小樽商業会議所議員、小樽七郡酒造組合長、同醬油、味噌醸造組合長、小樽財政調査委員、小樽港湾改良委員な十十指にあまる役職を押しつけられたほど。
麻里英三や初代区長金子元三郎、ときの道長官中川健、外務大臣有田八郎、農林大臣山本悌次郎らと深い親交があったことは、とりもなおさず、人間倉内嘉蔵の人望が、しからしむところであった。
(敬称略)
小樽経済
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