おそらく、もう二度と…
2024年02月14日
建築年:明治23年~27年(1890~1894)
小樽倉庫の創立者は西出孫左衛門と西谷庄八という加賀橋立の北前船主であった。創建当時の明治二十八年ころの小樽は近江商人と越後商人の二大勢力が威を張り、北前船という運輸を武器に街の整備を図っていた。
近江商人に雇われた西出らは船主の命懸けの立場を利用し、さまざまな情報収集をすることによって独立をものにし、自ら加賀・越前・能登の加越能商人を任じ、近江・越後の旧勢力に対し新興勢力としてその威を表現した。小樽倉庫は、その典型である。8つのシャチホコ、岸に対し平行に倉庫を配置したこと、また同郷の大家七平による大家倉庫の越屋根もその表れと思える。
(文章は、
『小樽に建築探訪』1995年8月25日発行
編者 小樽再生フォーラム
監修 駒木定正
写真 志佐公道
発行者 沼尾良夫
発行所 北海道新聞社 より)
今日巡る4か所に共通するキーワードは「アーチ、キーストーンです。』という駒木先生のことばからスタート。
二つのことばは、よく聞いていたんですが
いま一つ理解できていませんでした
こちらはキングポスト
石と木骨をつないでいるカスガイ 角度が違うんですね
大家倉庫側からできてきた小樽倉庫
そしてこの中庭には、当初は木造の倉庫が建っていたそうです。
小樽運河誕生
小樽港は、北防波堤が完成したことにより国際貿易港として飛躍する時を迎え、大型貨物船をはじめ多くの大型船舶が停泊するようになった。」このため港内施設の整備充実を求める声が高まり、埋め立てによる道路・鉄道・倉庫・貯炭場などの造成や、荷役のための運河が建設されることになった。しかし、」この運河も決定までには曲折を経ることになる。当初は埠頭方式が有力であったが、これを理論的に否定したのが広井だった。
運河誕生の発端は明治二九ねん(一八九六)小樽港の埋め立て事業が、商港としての都市建設にも重要であるとして、町総代人らが「小樽築港・水道期成同盟」を結成して調査・研究を始めた時から始まる。この年小樽港修築が帝国議会で議決された。
明治三二年(一八九九)立岩から北海道炭礦鉄道の申請地に接するまでの埋め立て出願が申請された。それから再度の設計変更で二転三転した結果、北海道庁から最終的に許可されたのが、明治四一年(一九〇八)で、この時は埠頭岸壁方式だった。しかし、起債が思うようにならず着工が遅れていた。明治四二年欧米の視察旅行から帰国した広井は断言した。
「貨物の量や形態から埠頭は時期尚早であり、まず運河として従来の荷役方式を生かすべきだ。」
この指摘を受けて埋め立て式運河に計画変更された。運河は掘削か掘り込みが通常であるが、「広井案」はこれとは正反対の埋め立てにより運河を築造する工法である。その後も計画をめぐって意見対立があったが、大正三年(一九一四)八月、ようやく着工にこぎ着けた。町総代人らが埋め立ての調査・研究を始めてから実に十八年目である。
大正一二年十二月、一〇年の歳月と一九一億円の経費を費やして、幅四〇メートル、長さ一三二四メートルの小樽運河が完成した。この運河の完成で、一〇〇トン積みの艀四〇隻が同時に係留できる運河式岸壁となり、また岸壁はすべて倉庫用地として活用された。
本州の大規模港湾が河川を利用改修したもので、干潮時には艀が立ち往生して運航不能になるが、小樽運河は潮の干満の影響を受けない地の利とあいまって、世界に誇る港湾施設となった。(中村弘之、大倉正徳、中谷誠志、荒川泰二『北防波堤と小樽運河』参考)。
~評伝 山に向かいて目を挙ぐ 工学博士・広井勇の生涯~
著者 高崎哲郎
発行所 鹿島出版会
二〇〇三年九月三〇日 第一刷発行 より
現在修復作業中の 旧日本郵船(株)小樽支店
『覆いが、外されているぞ。』
前回の修復工事は、1984年(昭和59年)10月~1987年(昭和62年)6月まででした。
今回の修復工事は、2020年(令和2年)7月~2024年(令和6年)6月までの予定です。
○屋根の解体工事
○石積みの耐震補強
○外壁石材の補修
○屋根骨組みの耐震補強
○煙突の耐震補強
○本屋根・腰屋根の解体及び復旧
は、終えたようです。
工事を担当している方からの説明を聞くこともできました。
金庫室外側
現在工事進行中の現場へ
天井
建設当初の
金唐革紙を
ヘルメットをかぶり、2階へ
前回修復から30数年経ています
雨漏りのため内部は
大分痛んでいるようでした
貴賓室の
金唐革紙(江戸時代にオランダ貿易で欧州から輸入した革製品をヒントに和紙で製造した革に似せた紙。はじめはタバコ入れとか小物を作っていましたが、明治初期から大蔵省印刷局で壁紙を作り、欧米へ輸出するようになりました。)
日本でも作る人がいなくなったそうですが…
前回の修復工事の時、金唐革紙を創ってくださった方もだいぶ、高齢だとのことでした…
3種類の中から選ぶようです。
大広間の天井も…
絨毯は大切に…
細かいところまで
建物は、石造りなのですが、室内の壁は木で作っているそうです
「ここまでが石です。』と説明してくれました。
亀裂が入っていました 叩いてみると音も硬さも違いました
廊下は、木骨で作られた壁
今回の修復工事が終えたら
50年から60年は大丈夫なように…
ガラス窓は、替えたところもあるようです(手宮の大爆発の後) と言っていました
『実際に修復工事中の重要文化財の中に入るという経験は、おそらく私の人生で、もう二度とないでしょう。』
いつも外側から見ていた第3倉庫 運河が完成した後の更地にできたそうです
外側から中をちょっぴり
柱の太さが違っているそうです
「鉄筋コンクリート造りの建物を保存するということは建築業界にとっても意義のあることです。鉄がさびても強度を保つ方法が…」
「いま、小樽市が所有し、今後の本格的な活用に向けて検討が行われていますが、全国的に見ても、10年単位のスパンで考えているようですから、
長い目で見てください。」
運河沿いに昭和8年、モダンなビルディングとして建った
この建物の中で、私の1番のお気に入りは
4階の部屋からの
運河の眺め
そして、今回は特別に
屋上からの運河と…
旧三井銀行
昭和8年には
小樽商工会議所や小樽市庁舎……も、できているのです
つぎの楽しみを見つけることができた
歴史的建造物めぐり でした。
おしまい。
~2023.7.4
そば会席 小笠原
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