初代の商工会頭 山田吉兵衛
2023年01月18日
人徳偲んで山田町
山田吉兵衛は、小樽商業会議所(現在の小樽商工会議所)の初代会頭である。今年七十周年を迎える小樽商工会議所の創立者の一人だ。吉兵衛の会頭期間は短かった。が引き続き特別議員として商工業のため活躍した。
吉兵衛が会頭時代に小樽港埋め立て問題が突発した。町(小樽)は、小樽港の防波堤工事と並行して、厩町一帯の海岸を埋め立て宅地、倉庫地、貯炭場などにするほかタテ横に運河を通し、小舟運航の便を図ろうと調査会を設けた。一方、一民間会社である北炭が手宮鉄道停車場の荷さばき所と貯炭場に使う目的で、手宮から厩町にいたる六万六千平方㍍(二万坪)の埋め立て申請、盛んに運動を行なっていた。山田会頭はこの問題に建議書を提出している。当時『埋め立てに反対するものではないが港内の広狭、潮流の緩急、波浪の状態、土砂の沈でんの状態など小樽港の実情をよく調べてから百年の計をあやまらないようにしてほしい』という経済人らしい発言をしている。建議書もこんな内容だった。この問題は大きな難関だった総代人会も含み政治問題にまで発展した。
吉兵衛は温厚篤実で仁慈深い人だったという。また倹素だが公共事業にはおしまず寄付し、小樽発展のためにつくした。吉兵衛は漁業、商業と幅広い経済人であったが、明治三十二年始めて区政になったとき区会議員、また二代目小樽区長として町に寄付した。この間港湾問題、水道の敷設、市区の改正、教育問題と取り組み、改善していった。大正七年故勲六等の瑞宝章を受けている。
吉兵衛の貢献をたたえるものに山田町がある。元来、稲穂と入船両町を結ぶ道路が無かったのを明治十九年吉兵衛が自費を投じて作った。この道一帯に家が建ちまち並を結成していったが住民は、いつしかここを山田町と名づけ、吉兵衛の徳をいつまでもたたえてきた。
北海タイムス
小樽経済
百年の百人②
『兵蔵』の遺志を継いだ『吉兵衛』の作った道
稲穂町から
上り坂を進むと
右側は小樽公園への路
左側はリタさんがお祈りに来たという『小樽聖公会』そして『水天宮』
職人通りとも仏壇通りとも呼ばれた通りを進むと
入船町へ出ました
『この親にして、この子あり。』
そんな想いでした。
高橋悦郎氏 作成の町名変遷一覧表と
明治3年頃の道路図(この道路のほとんどに兵蔵は関わったことでしょう)
明治16年頃
水天宮のところに吉兵衛が開削した道路があります
手宮桟橋(明治13年8月竣工 約430m㍍)
※道路は、明治15年~16年にかけて造られました。明治19年には宅地にしたそうです。
そして、今日 ついに
雪山をなくしました
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