創立五十周年記念 櫻陽

2021年10月23日

小樽桜陽高等学校 1956

創立五十周年に當りて

八期 布目 ヒサ(札幌)

 母校創立五十周年に当り祝賀会其の他の御催しが御座います由誠に御目出度御祝ひ申し上げます。旧会長としてまた八回生の幹事として熱心にご指導くださり会の発展に御藎力いただいて居る村山千代さんから記念誌刊行につき、回想文を書く様にと同窓から申越して来て居るが、病氣のため書く氣力がないから私に代って書く様にと原稿紙を送付して来ましたので、すは一大事と、取るものも取り敢えず村山様宅へ御見舞に上りました。村山様の構想を私が筆記だけでもしましょうと思つて伺つたのですが、病床のお千代さんは物を考える氣力もないし是非書く様にと再度の申越に、他の旧友の誰れ彼れとお願いに上る時間もなし、おこがましくもお引き受けした次第で御座います。お千代さんは胃潰瘍で大分おやせになりました。お婿様のお葬式、妹様の御逝など重なり過労されたので御座いましょう。然し段々よくなつて五十年記念式には是非療つて出席すると意氣込んでいらつしゃいました。丁度大谷さんも来られ枕元でお話合い致しました。山田節子さんも昨日見えられたとの事、何時会つても又幾年振りで会つても旧友位打ち解けた懐かしい物は御座いません。もう六十歳にもなる老婆がお千代さんとか、おなをさんとか呼んで、童心に返り得るのは、元禄袖に黒線のえび茶袴、桃割姿に無邪氣で毎日勉強に運動に親しんだ子供時代の深い印象が強く胸に刻み込まれて居るからで御座いましょう。円山登山や秋の軽川修学旅行など、散り行く枯葉にセンチメンタルになつたり、思い出の数々は大小こもごも枚挙に暇なしと言う所です。

 当時の庁立高等女学校と言えば、若い乙女の羨望の的でした。その校舎へ通学する私達は内心得々然としたものでした。こうした尊い過去を持つ私達は幸福で御座いま昨年は稚内の岡村たつさん、室蘭の松本スエノ様を迎へ朝里温泉で級会を開き、東京の級会へ寄せ書など送り、級会は卒業後何十回の回を重ねた事でしょう。今では小樽在住の人も少なくなり、返つて東京の方に多く集まる様になりました。然し数は少なくなりましても益々親交の度は深くなり、あの古びた花園町の旧母校から流れ出た太い綱のつながりは、東京、大阪、凾館、室蘭、夕張、鵡川、稚内、札幌と擴がつて上京する旧友を迎えては東京に於ける級会となり、出樽する旧友を迎へては小樽に於ける級会となり、其の他三々五々、親しく、固くしつかりとした撚りを結び続けて来て居る事を、ほんとうに嬉しく思います。懐かしい松丸先生、河崎先生を中心とした八回生、竹を割つた様な、そして熱のある、団結力の強いあの級の氣性を伝統の様に持ち続け、今五十年の記念式を迎へようとして居ます。殊に祝福されるべき事で御座います。

 敗戦により、財産も職業ももぎ取られ失意のまま樺太から引き揚げて来た未亡人の私に温かい手を差し延べて下さつたのは級友でした。先生でした。どんなに力強く嬉しく思つたか知れません。

 今立派に新築された新校舎に五十年の式典を盛大に行われる母校の益々の御発展の程を祈り上げて此の尊い紙上の債を塞ぎます。

 最後に村山千代様の御全快となつかしい八回生の方々の御健康を祈りつつ代筆の拙文を御詫び致します。