第七節 金融機関の充実
2021年10月09日
銀行の増設
明治十九年は我国 制度の確立を見、金融市場に一新時期を開いた年である。依頼銀行の増設、増資は目覚しく、二十六年七月には普通銀行条例が実施されて、銀行組織が一定され、政府の監督の下に法律上の保護を得ることになり、江州の銀行に対する信用も増加した。本道の、そして小樽の銀行業もこの時期に顕著な動きを示し、今まで官金の取扱を主な業務としていたのが、産業の発展に伴つて、民間の金融機関として活動することになつた。
小樽には明治十二年に第四四銀行銀行、第六七国立銀行、十三年に三井銀行、十六年には山田銀行、十七年には第三三銀行等の支店、出張所が設立されているが、二十年には第二十銀行、二十二年には北海銀行、二十三年には田中銀行の支店が置かれた。
第四四銀行は一円、五円の小切手と称し、紙幣と同一価格のあるもの数万円を発行し、第六七銀行と協力し、当時の利子が普通制規の利子に手数料を見込み、五分至六分であつたのを、二分二厘或は三分で貸出したのであるが、十五年には業務不振で、東京第三国立銀行に合併され、本道の営業は同行に譲与した。
山田銀行は越前の山田又佐により明治十六年、資本十万円をもつて函館に開業され、同年小樽に支店を設置したもので、この銀行は大蔵省及び農商務省管理局の現金取扱にかねて官金取扱を免ぜられてから漸く悲運に傾き、二十四年七月遂に閉店の止むなきに至つた。
第二十銀行は伊予宇和島の旧藩主伊達宗城の出資にかかるもの、明治十年の設立であるが、渋沢栄一がその運営の相談を受けており、彼の意見に従つて本道に支店を設けたという。この銀行は三井銀行と同じく官金取扱を主たる業務としていた。
北海銀行は明治二十二年七月、尾張の旧藩主徳川義札及び伊藤次郎佐衛門等により、当時の永山武四郎長官の勧奨に基いて、資本金十万円をもつて札幌に設立されたものである。同期は尾張の旧藩士等の移住した八雲農場を経営する資金運転の便宜を図る為であつた。二十四年七月には資本金五万円を増加して十五万円としたが、翌年には半額の七万五千円に減資、参拾年には三十万円にぞうししているが、この銀行は大正二年、札幌に第一銀行支店が設置された際、其の営業全部を同行に譲渡した。
田中銀行は本店を東京に有し、手宮鉄道に関係ある富商田中平八の創立にかかるものであつた。
銀行条例が出されてからの小樽の金融界は景気の回復と共に、二十六年に第一一三銀行、二十七年には屯田銀行の支店が、二十八年には小樽貯蓄銀行、余市銀行小樽支店、二十九年には兵庫の日本商業銀行支店、貯蓄銀行代理店の六銀行が設けられた。
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