高島と小樽をつなぐ稲荷坂
2014年07月05日
高島の丘に建つ稲荷神社は元禄3年(1690年)
今から300年以上前に創建されたとのこと。
ニシンの好漁場として知られた高島は寛文7年(1667年)には、
近江商人・西川家が漁場経営に携わっており
神社のルーツはこの時代にさかのぼるようです。
高島に関しても、気になることがあります。
小樽市ホームページ おたる坂まち散歩第13話 稲荷坂
高島と小樽をつなぐ稲荷坂 より
明治初年の小樽地方の古地図には、高島と小樽の間に海沿いの道は描かれておりません。
海沿いの道は荒天になると波に洗われてしまうため、高島に住む人々は現在手宮公園のある
煤田山(ばいでんやま)を超えて励ましの坂を下り、小樽へ向かっていました。
古地図に描かれているこの二里の山道越えの大変さからか、高島の人々は、
高島の集落の中でお互いに助け合って暮らし、密接な地域の連帯感をはぐくむようになりました。
この山越えの高島から小樽に通じる道が稲荷坂です。高島2丁目バス停から、現在は暗きょの
牛川沿いにあるくと、小田商店の前からのぼりになります。・・・・・・・・・・・・・・・。
急な稲荷坂を上って行き、後ろを振り返ると、港の弁天島がその姿を見せています。昔から
高島の人々は、まちからの帰路、稲荷坂からの弁天島の姿を眺めては、「高島に帰ってきた。」
という安心感を感じてきたことでしょう。
気になったのは、『海沿いの道は描かれておりません。』です。おそらく陸の孤島状態であったことでしょう。
だからこそ、独特の文化・風習が残っていると感じさせるのかもしれません。
高島越後踊り・高島の花火大会などなど・・・。。
小樽のほかの地域も。祝津、忍路、塩谷、蘭島など。赤岩は中継地として要だったのかな?
出かけました。
山頂にお寺が
「お神輿、今日、町内を回るんですか?」
「今日は神社で、魂を入れて、明日回るんだよ。」
登って
高島小学校まで
戻ろう
感動するほどの海の景色ではないな
再度、地元の方に聞くと、稲荷坂はこちらでした。
今日はここで許してやろう
振り返ると、
高島に帰ってきた!
神社をお参り
漁が豊漁でありますように
帰り道、北防波堤から
サン・プリンセス
ぱしふぃっく・びーなす
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日