熊碓トンネルの思ひ出ばなし
2021年01月14日
偶然發見された面白い雜書
‶漁舟の歸帆〟は語る
熊碓の隧道は小樽といふ大都會の東境にある交通上の重要な存在といふのみならず考へように依つては本道中央に流れる文化のトンネルと言つても過言でない。此の存在物に就ては當時の記録がなく只想像を描いてをつたに過ぎなかつたが此程小樽市市史編纂係奈良勇吉氏が偶然手に入れた珍書にこのトンネルに關する記録が現はれてゐる、しかもそれには黒田開拓使長官が當時小樽巡回中熊碓の岬や勝納の海濱を月明の夜に見渡してその絶景を愛し月出の岬、又は松の浦の名稱を附したといふ頗る優雅な物語りも蔵されてゐる、物語の人物は何れも小樽永住の人々らしく、自ら奇人と稱して酒を酌み、小樽の風景を賞し、回顧談を交はし之を小樽八景(一人一景宛)として記録に止めたのであるがうち‶漁舟の歸帆〟と題したものは明治四十年春水天宮山から灣内の風光を賞しつつ記録したもので左記は即ちその抜萃である。(鈴木生)
甲「君は地方官で開拓使の製圖技師だからここから見渡した小樽の昔噺を聞かしてくれ」
乙「よしよし昔の有樣から今日の繁華な小樽を見て往時を追想するのも一興で研究知識の足しにもなるだらう」
甲「そしてここから見へる熊碓トンネルの三つあるのはどういふ譯だ」
乙「アノ三ッの内眞中の穴は初めて隧道の出來た時抜いた穴で明治十二年開拓使雇ひ技師米國の技師でクローフヰルドといふ人の指圖で掘上げて見たが地盤は岩石の見込みであつたが眞中から銭函寄りの方が砂交りの砂利で殊にこぼれ方が激しいのでトテモ豫防しても永續の見込みがないといふ譯で更に方針を變へて山手寄りの今のトンネルを掘つたのだしかしコレモ巌石ばかりといふ譯にゆかぬが水がないから豫防が届くので最上煉瓦で巻いてこしらへれば差支えないといふことが確定して中二年余り過ぎて今のトンネルが出來上がつたが仲々念入りの工事だから存外手間もとれたが漸く中心が纏まつてから今日の樣な堅固なものが出來上がつた所で中央の穴は廃物となつた、又濱手の人道穴は昔の形がそのままだが鐵道の出來た頃はもつと穴が長かつた北の口はそのままだが南の口は現在よりももつと土を冠つてゐたおよそ長さが三十間もあつたと思ふが追々崩れて今の有樣となつた、今は全く巌石のしんばかり殘った(中略)
甲「熊碓のトンネルの鼻を月出の鼻といひ又勝納とトンネルの間の海濱松ヶ浦といふのは古い名であらうか」
乙「ソレハ黒田長官のつけられた名でトンネル鼻は滿月の頃この岬をかすめて上つた月を見て實に絶景で何ともたとへ樣がない、小樽灣中での美景だといひ又馬屋(今の厩町)の邊を見るのが殊更によいといふことでこの名が附けられたと聞いてゐる又松ケ浦は往昔大木の根が多くあつたといふことを長官が聞かれて成る程この邊は一寸灣の形ちに成つてゐて何とも風情があるといふ處から古事を引いて松ケ浦も附けたいといふことで今はこの名 知つてゐる人はない位だらう、これは至つて風雅に疎い土地折だから折角の名稱も埋歿して仕舞ふだらうと慨いてゐるがこの節の樣に俳諧や茶花の樣のものが少しづつ世に出るやうに成つて來たから其内には人々の知るやうになるだらうと喜んでゐる(寫眞は昔の熊碓トンネルで其後築港埋立のため切取られ現在のはモット山手寄りに開鑿されてゐる)
そば会席 小笠原
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