昭和3年の小樽 77

2019年09月19日

 1928年(昭和3年)5月、ドイツのベルリン号が入港した。艦長はコルベ大佐であった。わが国の海軍救助班は神威丸に乗ってベルリン号を歓迎訪艦した。

 そのあと、ベルリン号の乗員約100人が上陸し親善を果したが、当時の木田川市長が中心となり、磯部樽商会と市が共催して乗組員歓迎園遊会を小樽公園で盛大に開催した。

 小樽公園には、500の屋外食卓を設けて、周りにはスシ、ソバ、オデンなどの店も並べられた。市内各見番からは芸者さんの参加して舞踏を披露した。

 また、ベルリン号の軍楽隊も音楽演奏でそれに応えるなどして賑やかな親善の宴であった。

 写真Aは、ベルリン号乗組員が上陸期間中に市立高等女学校(現西陵中)を訪れて、軍楽隊の演奏会を開催した折の記念写真である。右には8番目の演奏曲カルメン行進曲と書かれている。最終列左から4番目には、戦前、戦後を通して本市の音楽指導に多大な功績を残された中川則夫先生の姿も見られる。軍楽隊、市立高女の先生方と共に最前列には女学生も並んでいるが、8人のうち7人が和服姿で写っていることにも時代の変遷を感じる。

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 昭和3年と言えば、オランダのアムステルダムで第9回オリンピックが開催され、日本代表の織田幹雄が三段跳協議で優勝している。 

 また、この年からレコードは電気吹込みになり、音量、音質も良くなって、その売上げも向上した。その中にあって、「波浮の港」が大ヒットしているが、レコード価格は1円50銭であった。ラジオ体操と大相撲の実況放送が開始されたのもこの年である。

 昭和3年は、また、小樽は異常気象で、1~3月は平年の3倍に至る大雪に見舞われた。そして、夏季は雨が少なく農作物にも被害を与えた。

 小樽市労働組合主催の全小樽労働者大会が開催されたり、小樽労働職業紹介所が設立されたのもこの昭和3年である。

 この年には、また、龍宮神社が郷社に昇格した。

 小樽は、昔から火事が多かったが、錦町から出火し、425戸が、この昭和3年に焼失した。

A 市立高女を訪問演奏したベルリン号の音楽隊

B ベルリン号歓迎園遊会を開催した小樽公園の入口付近(昭和3年)

C 新聞報道された花見風俗の一場面(昭和3年)

~HISTORY PLAZA 77

小樽市史軟解 第3巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より

 

昨日

朝焼けとともに

今年最後のクルーズ船が入港してきました

18:00函館へ 

セレブリティ・ミレミアム90963㌧

 

今日、根室から到着。

歯舞昆布