与謝野晶子・鉄幹と小樽(その2) 50
2019年06月22日
前月号では、与謝野晶子とその夫、鉄幹の作品歴について述べたが、 今月はこの2人が小樽を訪れて開催した文芸講演会についてお知らせする。
夫妻が揃って来道したのは昭和6年であった。鉄幹は久しぶりの来道であったが、晶子にとっては生れて初めての北海道旅行であった。
「北海道の風光はさすがに悠々とした気に満ちているように感じる。樹木も特異な風光をみせているので、歌も思うように生まれそうだ」とこの折2人は感想を述べている。
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講演会場は、小樽高商(現小樽商大)、市立高女(現西陵中)と小樽倶楽部の3カ所であった。
市立高女は、この年開校10周年を迎え、この講演会は一層の意義を深めたものとなった。ここで晶子は「人生の意義」と題し、詩歌を中心に、女性の教育問題を説いた。また、鉄幹は「詩歌の鑑賞」について講演し、女生徒の胸をうった。
小樽高商で鉄幹は、「詩歌の目的」と題し講演した。そのあと夫妻は札幌に出向き3日後に再び来樽した。三田会や有志婦人による歓迎夕食会が料亭「蛇の目」で開かれ、夜は当時東雲町にあった小樽倶楽部で2人は講演した。
この時の主催は、小樽高商弁論部で、後援は小樽新聞社であった。午後6時からの講演会であったが、多数の押し寄せて時間前から超満員となった。
晶子は「婦人の教養」、鉄幹は「歌について」と題し講演、聴衆に深い感銘を与えた。2人はその折、小樽の歌を数首詠んでいるが、その一部を紹介したい。
(晶子)
二本(ふたもと)のポプラの中に港見雪他の小樽の宿に覺(さ)むれば
一すじの一萬二千幾尺のぼうはていをば越ゆるしら波
船馳せて防波堤に近づけば高島見ゆれ忍路は見えず
灯の繁くく長き幌して馬車かよふ小樽の町の宵の雨かな
(寛)
沖つ波防波堤より身を反らし忽ち変る天つしら波
ランチより港の山の赤きをば見上げてわしる突堤のもと
防波堤浪しろく来てわしるとき北海の威をひしと知る我
ふかふかとまろき幌ある馬車に聴く小樽の小雨その馬車の鈴
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昭和6年5月、晶子と鉄幹(寛)が小樽を訪れた翌月の6月、小樽では並木凡平を中心として現代短歌誌「青空」が創刊された。
それから4年後の昭和10年に鉄幹は亡くなった。その後、昭和17年に晶子も静かにその生涯を閉じた。享年64歳であった。
『大柄まがらも、しとやかさをたたえた上品なものごしは、「情熱の人」「奔放歌人」の名だけでは語りつくせない魅力に満ちあふれた人で、幸せな結婚生活が晶子の文学を支え続けた』と人はいう。
狂ひの子我に焰の翅(はね)かろき百三十里あわただしの旅
これは晶子が、堺の実家から東京の鉄幹のもとへ飛ぶようにしてやって来たときの歌である。昨年(平成4年)は、その晶子が没してから五十年忌であった……。
A 小樽を訪れた与謝野晶子と鉄幹。前列左から二番目が晶子、後列左から二番目が鉄幹。その左は校長で、小樽出身歌手岡本敦郎の父(昭和6年5月27日、市立小樽高女玄関前にて)
~HISTORY PLAZA 50
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月刊ラブおたる 平成3年11月~5年10月号連載より
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