貯金局出身の美術家(その1) 66

2019年04月27日

 小樽地方貯金局は、現在入船5丁目に小樽貯金事務センターとして業務を続けている。大正5年に小樽為替貯金支局として本市に設置された。職員から美術、文化、スポーツ等に優れた人材が数多く育っていた。

 美術では、一原有徳さん、須田三代治さん、小竹義夫さんも貯金局出身である。しかし、須田三代治さんは昨年6月に、そして本年5月には小竹義夫が逝去された。

 本号では、長年にわたり小樽美術界に多大な業績を残されたこの二人について、その歩んでこられた道をふり返ってみたい。

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 油絵と版画に専心した須田三代治さんは、明治40年秋田県で生まれた。小樽地方貯金局に勤務のかたわら昭和3年に小樽洋画研究所結成に参加、更に太地社と裡童社の美術グループにも加わっている。

 裡童社では、画人仲間からセザンヌの須田君と呼ばれていた。昭和4年と翌年には、太地社展に出品、昭和10年に全小樽洋画家小品展と北海道美術協会展に出品。昭和11年には小樽青年美術協会展にも出品し注目を浴びた。

 昭和28年北方美術協会会員、昭和42年には、北海道版画協会会員として活躍した。日ごろから研究熱心な人で、小樽では絵画の平面描写研究を早くから手がけた人でもある。

 昭和6年の油彩作品「冬の街」は、当時のフォービズムの影響が深かったころの作品で、この絵を描いた時は、寒くなるとスキーをはいて小樽公園を一周したりしながら製作したという。

 北方的感性と感情、重暗い空と雪と街並みの中にみせる筆触は見事である。版画作品でも線の美しさを表現した作品を多く残している。

 昭和50年には、札幌時計台ギャラリーが出版している「ACТ」誌に、小樽の裡童社の記録を3回にわたって執筆しているが、小樽画壇史はもちろんのこと、北海道の美術史にも貴重な文献として、当時を想起させたのである。

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 洋画の小竹義夫さんは、大正3年小樽に生れた。昭和5年道展初入選、昭和8年の道展では協会賞を受賞、同11年には道展会友。昭和13年一水会初入選、昭和21年一水会会員、昭和24年北海道文化奨励賞受賞、昭和29年の一水会では会員作品最高の会員優賞を受賞している。

 昭和35年一水会委員、昭和52年一水会常任委員として、本市出身の中村善策、渡辺祐一郎、金丸直樹と共に中央画壇で活躍された人である。

 すぐれた作品を多数製作し、絵画を学ぶ人にその基本を示し影響を与えた。

 短歌のグループにも所属して、その機関誌に短歌のほかに、センスのいいカットを載せている。

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 昨年は須田さんを、そして今年は小竹さんと、小樽ゆかりの美術家を失ったことは惜しまれてならない。また、裡童社時代からの画友国松登さんも今年4月亡くなられた。

 コーヒーが好きだった須田さん、お酒が好きだった小竹さん。お二人とはよく飲食を共にさせていただいたが、芸術に対する芯の強さと、やさしい温かい人柄を共通して感じたものである。

 お二人の芸術を希求する心と、自らの画風を深求する姿は、どの作品にも表れていると思うのである。これらの作品が長く残っていくよう念願したい。

 いま10月、今年も小樽は美術の秋を迎えた。(次号へ続く)

在りし日の須田三代治さん(前列右)と奥さん。左は市職員の野田事務長。後列は一原有徳さんと私。

須田三代治さんの版画作品。

私の部屋に飾ってある小竹義夫さんの色紙。

在りし日の小竹義夫さん―平成4年大丸藤井セントラルで開催した個展(小竹さんの集大成となった)会場にて。

 

~HISTORY PLAZA 66

小樽市史軟解 第3巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より