明治・大正の小樽をみる(その7)~情熱、責任感、判断力 88

2020年06月19日

 マックス・ウェーバーは、政治家にとって必要な資質として、情熱、責任感、判断力の三つをあげているが、この資質は何も政治家に限ったことではないと思う。

 明治・大正時代における小樽っ子のマチづくりを振り返ってみると、この情熱、責任感、判断力の三つが生かされていたと感じられるのである。

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 写真Aは、明治期の小樽において、手宮駅と共にマチづくりに大きく機能した中央停車場(現在の小樽駅)である。

 この駅は、1904年(明治37年)につくられたもので、数年後に改築されている。

A 明治期、稲穂町にあった中央停車場(現在の小樽駅)

 写真Bは、大正初期における手宮の街並みである。左側に日本郵船(株)小樽支店の建物がみられ、海側にその倉庫や船着き場がある。1910年(明治43年)に起工された高架桟橋も小樽発展に大きく貢献したが、その威容が見られる。左後方に見える手宮公園には、明治44年に建立された小樽築港技師故青木政治の功績碑もある。

B 大正期における手宮の街並み風景

 写真Cは、明治期における小樽共成株式会社である。本社は有幌町にあり、1891年(明治24年)に創立され、資本金100万円の株式組織で、四つの写真は、工場及び機関、精白の光景であり、奥澤村にあったものを撮影したものである。

 明治43年、当区工場における精白高は、約10万8千500石であるが、他の工場の精白数を加えると莫大なものであった。

C 明治期における共成株式会社の工場光景(当時の奥澤村)

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 明治40年以降の小樽をみると、この年小樽電燈合資会社(電燈社を買収)ができたり、41年には、小樽郵便局の局舎が新築されている。

 なお、先の電燈合資会社は、44年には小樽電燈株式会社(電燈合資会社を譲り受け)となった。

 このように、この時代に小樽は情熱と責任感、そして将来の方位に対する判断力を発揮していたのである。

 

小樽市史軟解 4

岩坂桂二

HISTORY PLAZA 89

月刊ラブおたる より

6.19

小樽水産高校のヨット(おそらく!)

週六の出港

17:00発 新潟行

夏至まで、あと二日。