番外編~新市長のプロフィール~⑩

2019年01月06日

闘病五年が今になってプラス

フレッシュな人柄

 ズルさがみじんもないということは、政治家にとってプラスかマイナスとなれば、私はプラスをとる。ズルさなんてものではない、インチキ、サギまがい、厚顔無恥、まだ言い足りないほど今日の政治家の人格はおちた。あけても、くれても、人の足をひっぱること、人をだますこと、ウソでごま化すことを信条としてテンと恥じないのが十人いれば九人までそうだという政治家なのである。

 新市長新谷昌明は、ズルシャモではない。新しいタイプの行政マンであり政治家である。これからの日本は、ズルさばかりでは通らない政治が来る。きっとだ。新谷は、そのフランクゆえに、まっ正直なゆえに、当初はえらい苦労をかさねるであろう。

 でも、かならず彼の身上である誠意と誠実がまかりとおっていく。いかせねば小樽のためにならない。

 小樽はヤレ樽中だ、樽商バツなどと狭い都市、古い都市でのナワバリ争いみたいなものがあって排他的ですらある。やりにくいところなのだ。

 が、そういうジッコどもも、石の下となっていって因習クソくらえの時代が、そこまできている。

 だから、新谷に前例的表現があってはならぬ。戦後一号市長の、あの手前ばかりがトノサマのつもりのアクのつよい寿原英太郎とは、全くちがうタイプだし、全く二代目の八方やぶれの大人物安達与五郎とも人間的には似ているが、もっと知的で近代的だし、役人上がりで立身出世のためになんでもした策謀型の稲垣祐ともちがう。私は幼少時代から、おやじが市役所に入れた稲垣の知られざる部分を知っているが、これはいただける人物ではなかった。

 で志村和雄だが、彼は、まだ、生々しいので功労者として讃えることにしておく。が、新谷は、志村とも人生観がちがう。

 あかに染まらぬ人

 本当は、横路孝弘が知事になったときに新谷はやめる決心をかためていたが、先輩の副知事中川利若が、ススキノにさそってボトルをあけ、カラオケを歌うムードの中で「新谷くんキミはのこってくれ。たのむ」といわれ、二人ナミダの握手をしたのが、道庁残存の原因といわれている。当時、オヤ分の前知事堂垣内尚弘も最初から「知事が、かわってもやめるべきでない」と強くいっていたし、一方の横路は、新谷に一目惚れして「ゼッタイやめないで副知事を引きうけてくれませんか」と、うるさいほど口説いている。

 しかし、小樽市長ひっぱり出しの話が進んで、具体性がありとみたとき、ヨコさんのもとを去る時期がきたと読んだ。ことわっておくが、あくどい打算をしたわけではない。小樽が好きだから……その一念にほかならなかった。

 新谷は、終戦の年の樽中卒で、すぐ小樽高商に入り三年学び、さらに慶大経済で学問した。二十八年の国家公務員試験にパスしたが、病魔にとりつかれて五年間を棒にふった。

 彼は、あきらめということを知り、人生を深く模索した。

「あの空白の五年は、心をやしなってくれた」とのちに告白している。

 道庁入りが三十年で、主として商工畑が長く十五年。このうち石炭関係十年を手がけ、鉱政課長になったのが四十五年。このときオイルショックにぶつかり、それを機縁にエネルギーをすごく研究し、道庁内一のエキスパートになっている。

 五十年商観部次長。

 五十二年審議室長。

 この審議室長というのは、知事直属のシンクタンクで政策立案の主になる。

 さらに商工観光部長へ昇進し、五十四年知事室長の大役につくが、山田、川城、松田、眞鍋とつづく室長では、新谷の就任が実にフレッシュな、あかに染まらぬ感じにみえたものである。人柄がすごくいいからだ。

 長身痩軀。一見学者タイプ。「流感悟道」なんていう言葉が好きで、マジメによく働く。酒は、ビール党。花園町の生まれ。ゴルフは、道庁の中堅時代に覚えたが、練習ぬきのぶっつけ本番でいく。道庁では、慶応出が、珍しがられたが、塾の方では、彼みたいタイプが珍しいのかもしれない。どこかに、学生気分が残っている。小樽特有のざっくばらんさがいい。気どりは一切ない。フレッシュ小樽は、彼によって実現するかもだ。

~見直せわが郷土史シリーズ⑩

小樽市史軟解

奥田二郎

より~

 

今日も

沸き上がっていました

すさまじい勢いで

~2018.12.9~