海の中に建築群 九

2021年03月24日

榮える厩町埋立地

明治十三年頃の厩町

前方の岩は「エボシ岩」現在の北防波堤の基部はこの附近

 

小樽市の北端厩町埋立地にモダン式は建築物がある。これが有名な日魯漁業會社の冷蔵庫だ、何せ鮭は一時に百三十萬尾、鱒は二百八十萬尾を入庫出來るのだから驚くの外ない、これによつてカムチャツカ方面と連絡も非常に盛んとなり出入船舶もおおくまづ商港小樽としては面目をほどこしたわけだ。この厩町埋立地はもと宮腰伊七郎氏の所有であつたが明治四十年頃三井物産會社の事業發展に伴い買収したのが今日の前身だ。

昭和六年十二月總繼費七十四万圓で埋立工事に着手、八年三月竣工し二千トン級の船舶が三隻岸壁に横付けになるが埋立總坪數一万三千四百坪三千、有効坪數一万坪の内七千五百余坪は三井物産、曲ト作業部磐城セメント日魯會社に貸付外にドツグの敷地として四千坪を市が現在持つてゐる、これは先般のやうに綿羊の大量輸入の場合など臨時檢疫場疫に使用したが軍事的にもこの位の敷地は常に市が持つてつゐなければならないといふので貸付を斷つてゐる狀態だ。

畏くも明治大帝本道御巡幸の際御上陸遊ばされた由緒ある桟橋は明治十三年に炭礦汽船會社がつくり、四十二年現在の高架桟橋がつくられるまで現位置にあつたのもその名ごりの一つである。

 今や工業都市の外廓として厩町の發展は高島町の市への併合とともに重要な役割を受持つ事になつた、思へばこの方面も五十年の昔にくらべて、その變遷の甚だしい事は日本製粉會社をはじめ大小倉庫の林立、タンク貯油所設置等々單なる貯木場としてさびしかつたヶ所も近代科學の前には完全に征服されたといつてよい。

 

小樽今昔ものがたり(上) 変る地帯 九 昭和十年十二月二…より

~おしまい~

 

『明治十三年の頃の厩町の写真、一体どこから撮ったんだろう。』

気になっていました。

私の予想では ここ ポートラジオの場所から じゃないかな?

いや

もっと 向こう?⁇

 

 

この場所

妙見市場のあった所です

陸橋から眺めた第二大通り(国道5号線)