公会堂

2023年07月01日

『小樽における一般建築の状態を見るに、市制(大正十一年八月)以前は建築の主要材料がだいたい木材に限られ、大部分の建築物は木造建て物で稀に石造、れんが造りもまじっていたが、目ぼしい建て物は個人住宅に多い。しかし、現在の博物館や日本銀行支店の建築には石材またはれんがが使用され、その建築技術、様式等において断然一般建築を脱し、現在においても優秀な建築物として専門の推奨するところである』(小樽市史第四巻)-そこで、小樽市の代表的な建築物をここに紹介しよう。

 

雲上人お迎え用 明治時代の書院造り

明治四十四年に建てられた公会堂

 公会堂というと鉄筋建てのスマートな建て物を想像するが、小樽市の公会堂は全く趣が異なる。それもそのはず建てられたのは明治四十四年というからいまから約六十年も前。大正天皇が皇太子のころ道内においでになることになり、小樽市にも泊まることになったが、当時の小樽にはお泊めするような立派な旅館はなく、関係者たちも頭を痛めていたところ『よし、おれが建ててやろう』と現われたのが、ときの豪商藤山要吉。

 この話を聞いた区長も大喜びで、さっそく当時一流といわれた大工加藤忠五郎に請け負わせた。

 いっぽう加藤忠五郎も、おそれおおい建て物ての建築を請け負わせれただけに、苦労も大変で、京都、奈良の神社、仏閣をくまなく視察、少しでも似かよったものにしようと努力したというエピソードもある。

 着工してから一年間で完成したが、総工費は当時の金で三万数千円(いまの金で約六千万円)だったという。

 建てた場所は現在市民会館のあるところでそのころは、まわりにりっぱなかき根、大きな池、白黒大小の銘石で埋められていた。

 建て物は従来のままだが、その後寿原英太郎市長の時代に、茶室を設けたのをはじめ、数年後には能楽堂も市民から寄贈されることになり、公会堂はやむなく、現在の位置に移築されることになったわけだが、建て物自体が明治時代の数少ない書院造りというだけに引っ越しも大変だった。

 この公会堂は建立以来天皇陛下、宮様のご宿泊所として利用され秩父宮、高松宮がお泊まりになったほか今上陛下もご休憩になったこともあるという。

 現在は各種会合、催し物会場として使用されているほか、市内有数の結婚式場としても有名だ。

~小樽の建築 北海タイムス

昭和43年7月24日~8月11日連載より

 

~2018.7.24