ある老親方~その五

2017年09月01日

 北海道西海岸の鰊漁もいよいよ終局に向かい、鰊業者は皆鰊に見切りをつけて転換し、また廃業していった。往年のニシン漁場として繁栄した浜は見る影もなくさびれていった。

 沿岸に軒がかたむき、窓ガラスが割れた漁舎が点在し、囲いの屋根がはぎ取られた漁船が醜くく浜にさらされている状態は、全く哀れというよりほかいいようも無いくらいであった。

 しかし本間さんの鰊に対する執念というものは変わらなかった。

 昭和三十六年は早春の三月初旬ころから近年に珍しくカモメが群れをなして沿岸に飛来し、沖に岸に無数のゴメ(浜ではカモメを略してゴメと呼んでいる)が何日も移動しないで、居続けているのであった。後でわかったことだが、このゴメはイナダについていたものであった。

 このゴメの動態を見た本間さんは、あるいは長い間姿を消していた鰊がこの年あたり郡来する前触れではなかろうかと思うと、もうじっとしていられない。毎年本間漁場に働きに来ていた本州の船頭に手紙を出して急遽若い衆の手配をさせ、最小限度の建込み準備に着手した。

 この船頭も鰊の虜になった人の一人で、早速若い衆を引き連れ忍路へやって来た。もし鰊が獲れたら地元の人達の応援を得よう、最悪の不漁の場合は損失を最小限に止めようと計算して、本州からの若い衆も僅かに止どめ、沖の建込みも簡単なものにして臨んだのであった。

 期待していた鰊はとうとう姿を見せなかった。毎日沖を眺め、今日か明日かと待ち望んでいた鰊は、この老親方の夢を無惨に打ちくだいた。

 四月二十日の午後、この日も天気がよく海はまるで沼のように静まり返っている。

 本間さんは一人で清酒一升びん一本と助宗ダラの干物を僅か積んで、磯船で沖泊まりしていた保津船(枠船)のところへ漕いで行った。そして訝(いぶ)かる船頭と下船頭の二人を磯船に乗せ、忍路湾口のところにあるかぶと岩に着け、三人で岩の上に上がり、本間さんから

 「さて船頭衆たち、今日は四月二十日だ。わざわざ本州からきてもらったが、今日まで鰊一尾も獲れない。水温もかなり上昇してきたし、もう鰊の見込みがない。それで今日かぎりで網を切り揚げようと思っている。それで私と船頭衆と網子(あご)別れをしたいと思って一升持参して来た。今までの網子別れはまた来年ということもあるが、この網子別れはおそらく永久の網子別れと思う。何もないが三人で最後の別れをしよう」

 船頭衆から

 「親方、なにも急に切り揚げなくてもよいでしょう。もう少し見たらどうです」

 「いや、私はわかるのだ。なにもいわないでくれ。本当におまはん達には苦労をかけた。なにもむくいることが出来ず申訳ないが、これも是非ないことだ。勘弁しておくれ」

と三人で岩の上で飲み始めた。本間さんはあまり酒を飲む方ではないが、船頭達と飲み、唄などだしたり思い出話しなどしているうちに、いつしか時刻も過ぎ酒もなくなっていた。

 その時本間さんの懐中(ふところ)にあった紙と鉛筆を取り出して

 ニシン、ニシン、ニシン。

 俺は汝じ恋して五十有余年

 恋は果てんとす

 今一度群来(くき)よ

 忍路の海へ、幻の魚

と書いて折りたたみ、空になった一升びんの中に入れ、びんに蓋をして折りからのはらい潮(陸から沖への出し潮のこと)にのせ海中に投じると、びんは夕陽をあびてキラキラと反射しながら沖へ沖へと流れ去ってゆく。

 これをじっと見つめていた本間さんの両眼から泪がにじみ出て、泊めることが出来なかった。万感胸につまり、なにもいうことができない。ただ岩から流れ去るびんを見つめるだけであった。