ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 小樽内場所③
2017年01月18日
渡辺 兵四郎 小樽市
兵四郎は弘化三年(一八四六)出羽国の城の生れ、幼名を佐助といった。蝦夷地で新天地を開こうと万延元年(一八六〇)小樽内に渡り、山田兵蔵家の店員となる。主家の信任篤く三〇才で主人の一字を貰い、兵四郎と改めた。明治一〇年(一八七七)独立して荒物業を営む一方、漁業に手を染め、着々と事業を拡張して財を築き、最盛時には鰊・鮭建網二〇統(小樽周辺に一〇統その他)を経営した。
漁業界、経済界への貢献も大きく、漁業組合頭取、同連合会長、商工会議所会頭などを歴任した。また、明治三四年(一九〇一)北海道議会議員に当選、同議長、明治四一年衆議院議員に当選、明治四五年(一九一二)小樽区長となった。
郷土愛に燃え、詩歌をたしなみ、書作に親しむ風流人でもあった。昭和七年(一九三二)卒す。
嗣子得郎は「漁場の経営というものは、なかなかむずかしいものであった。ひどいときには、月一分の利息、それに出来高の一~二割歩下げという苛酷な条件の青田売りもあった」と記している。
また、明治四十二年に、学業を了えて家業を継ぐことになったが、漁場が多ければ投入資本も年々嵩み、資本の効率が悪くなり、いつもキャッシュに不自由することになると考え、父兵四郎に「宗谷の漁場を含め、毎年一統ずつ減網する」ことを条件として引継いだという。
昭和六年(一九三一)に同家が保有していた鰊定網漁業権は、
渡辺得郎 高島 一統 渡辺紫郎 宗谷 二統
何れも、合同漁業(株)の設立の際に現物出資した。
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