ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 忍路場所①
2019年01月21日
より
忍路場所は吉田家の商場知行地であった。西川伝兵衛が、忍路場所を高島場所と併せ請負ったのは、元文元年(一七四〇)以降、運上屋が設けられたのは寛延年間(一七四八~五〇)と見られている。
追鰊業者には、安政(一八五四ー)以前は刺網のみが許可されていたが、万延元年(一八六〇)建網・ざる網が許可される以前から、資力ある一部の漁業者は建網に転じていたようである。この地方の草分けともいうべき定住者が入りはじめたのは安政四年(一八五七)以降のことで、多くは江差地方からの移住者であった。
明治二年(一八六九)場所請負制度の廃止後も、西川家は忍路・高島の漁場を引続き経営した。明治二十八年(一八九五)債務整理のため、大半の漁場を売却し、昭和初年には、同家一一代二氏かわ吉之助の漁場二ヶ統を残すのみであった。
明治二十年以降の忍路の漁況の移り変りを見ると、最盛期は明治二〇~二九年の間で、年平均漁獲量は三万三千石、最高漁獲量は明治二一年の四万五千石であった。その後も年平均二万石前後の漁が大正末期まで続いたが、昭和期に入ってからは、しばしば来遊が杜絶し(昭和五、一〇、一一年)、漁況は不安定となり、昭和一三年以降は鰊漁業地としての価値が低下している。
忍路の著名な漁業家として、「小樽外七郡案内(明治四二)に木村常吉、渡辺石蔵の両名、「開道五十年記念」(大正七)に川合総七、本間英太郎の諸氏の名がある。何れも昭和初期まで営業を続けている。
昭和六年の忍路の鰊定置漁業権数は七七ヶ統、漁業家数は四一人であった。詳細を「附表3」に示した。
今朝は真っ白
昼から
晴れてきたので…
即
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