小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(十二)
2017年03月05日
三 海産商の盛況と鰊不漁の影響
次ぎに昭和四十年小樽経済新聞主催の「小樽の今昔座談会」の記事から抜萃して鰊時代の業界の思出を掲げて見よう。
一『鰊漁の黄金時代、その製品の取引は非常に華やかであったが、此れは結局商材が豊富であった事に基因する。身欠鰊の 出盛り時季になると色内川下の渋沢倉庫前から製缶倉庫の傍の橋までの約五百メートル位の間に身欠鰊の山が出来たもので、その三千俵から五千俵という身欠鰊が、朝通る時山となっていたものがその日の中に全部引き取られる、という状態であった。その当時は鰊粕の商売でも一日台車一車二車という僅かな数でなく、一取引が二千石から三千石というもので、五百石の胴鰊の注文があれば小口物といったものだ。
樺太で買い付ける魚肥も一般三千石位で、此れを本船に積んで、敦賀、堺辺迄行って船を停泊させて商売したものだった。
この道に
この倉庫群の前に
このあたりに
『身欠き鰊、三千俵から五千俵の山が…。』
『合、升、斗、石~ごう、しょう、と、こくと読みます。これらの単位を尺貫法と言い体積の単位です。
単位 米の重量 容積 倍率
一合 約150g 180㏄
一升 約1.5㎏ 1.8ℓ 一合の十倍
一斗 約15㎏ 18ℓ 一升の十倍
一俵 約60㎏ 72ℓ 一斗の四倍
一石 約150㎏ 180ℓ 一斗の十倍
(就農 ŁŌGより)
ということは、
三千石ということは 約450000㎏ 約450t の取引でした。』
たくさんの
ごめが
海も白くにごっていたのです
が、
わたしの想う
『群来るとは ここで 鯡を 手づかみすることです』
なかよし5人も
同じ気持ち かな!
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