小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(十一)

2017年03月01日

三 海産商の盛況と鰊不漁の影響

 盛時の小樽には海産専門の仲買人が三十名にも及び

 石田市治郎、奈良惣吉、田子鶴次郎、山本六太郎、大聖勘七、出戸豊次、奈良稲次郎等が古顔で、その中でも腕利きで二三年程以前に亡くなった奈良惣吉などは山本六太郎と並んで五十年以上の経験を持っていて、彼は海産商同士の仲立計りでなく、産地漁業家の旦那である遠藤、木村、本間、花田、白鳥等の恩寵を被って一家の者の様に可愛がられていたので、いつも大口の取引の仲立を行って多分の口銭を得ていた。彼等は、朝から夕方迄色内方面を右往左往して駆け廻り算盤の音も喧しく、景気の好い商売成立の手打の拍子があっちこっちで聞かれた。

 前述の様に多くの漁業家は、鰊の北上凶漁と共に没落していったが、海産商の方は勿論近海の鰊薄漁の影響は受けたが、猶魚群が北見や樺太西海岸に移動しても、夫等の製品の大半は小樽に集荷されて小樽商人の手を経たのと、他の助宗、ほっけ等の魚類が鰊と変わって大量に収穫されて、その製品が彼らの手を経て捌かれたので、鰊時代の様な甘味はなかったが尚『魚肥の小樽』の名は今でも本州各地に響いている程で、最早往年の勢は全く失せたといえ、最初から堅実な取引を続けていた問屋は相当に存在していた。

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IMG_3142~棟方虎夫『小樽』(大正3年)より

『海陸物産商は108件掲載されていました。』