小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(八)

2017年01月19日

二 漁業家の繁栄期と鰊漁

 然し愈々事業が実現に近くなって、利己心の強い鰊漁業家は、比較的好漁の漁場を引っ込めて年々不漁を託っていた様な建場のみを会社に多く提供し、結局最も責任を感ずる主脳者のみが莫迦を見る様な結果となって、引続く凶漁の為遂に此の事業を、折から北洋の鰊を窺っていた、南方漁業家の日本食糧工業株式会社に譲って終った。終戦後幾度か好漁に恵まれた事もあったが、遂に進駐軍の指令に依って昭和三十年代に解散して終った。此れが北海道西海岸に於ける鰊事業の終焉期で、その間、鰊漁の前途を危ぶんで、或は農場に、或は山林に又は小樽市街地に資金を投じ、或は金融業、倉庫業等に転じた数名の者がその名を残していたが、それも亦いつか落魄して行った。就中哀れを留めたのは、小樽の漁業家として最も慇懃を極めた遠藤又兵衛と白鳥永作で、此の両者の中、遠藤家は財産争いの為永い間係争を続けていたが遂に弁護士の犠牲となって三代を以て没落して終った。又白鳥永作は優秀な二人の孫を持っていたが、金と才に任せて当時小樽に於いて最も斬新な「舟見屋デパート」を経営し、又一方趣味の写真に凝り、又数名の芸妓を落籍し他方では奇抜な構造の「カフエー」を開店して世人を驚かせたりして二三年の中に店を傾け、小樽からその姿を消して終った。尚遠藤氏の邸宅は現在新興宗教の殿堂となり、白鳥家の邸宅は他に買われて『キャバレー現代』として繁昌している事は極めて皮肉な事実である。

 又浜益の木村円吉は早く初代から倉庫、金融業に転じ又小樽市緑町の坪幾銭の時代に数万坪を手に入れ現在小樽有数の大地主となり、言外小樽商工会議所会頭として名声を拍しているのは漁業家中稀れな存在である。

IMG_2626旧遠藤邸

IMG_2630旧白鳥別邸が

IMG_2633旧木村倉庫

確か

IMG_2624円吉山

IMG_2628と呼ばれていた山がこの辺りに…