小樽四十年誌 付手宮発達記 西谷回漕店

2019年11月22日

堺町、色内方面

 それより中央部にきて堺町、妙見町(みょうけんちょう)、砂崎町(すなざきちょう)、南濱町(みなみはまちょう)、色内町などは明治二十九年頃では入船町、港町に劣らざる商家が櫛比(しっぴ)し問屋に小売店に銀行などありてすこぶる繁激(はんげき)なるもようで実に活気立った情勢であった。それゆえ手宮あたりの者は何一つ買うにも色内で色内でと足を運び恰(あたか)も買い物場所としておったくらいでありました。堺町には廣海支店(今も石造建てのものありて当時は立派だと言っていた)二十銀行(後で第一銀行へ合併)金子元三郎氏の商店もあり色内町には屯田銀行、北海銀行、三井銀行、小樽銀行、日本銀行などがあったようですが、また今の土蔵造りの安田銀行のところに濱谷という昔の鰊取りの大親方のおった土蔵造りの家があった。また今の西谷回漕店のところが町野氏の全盛時代に居住されたところであり、北日本汽船会社のところが大家七平の支店で大野九平という支配人が大いに巾(はば)をきかしておられたところ。三井銀行処に端商店があってその家を三井物産と俗称しておった。これはその頃、中島某という仲立(なかだち)業者が常にくちばしるには僕が三井に使われ出張主任として小樽にきてその地所を専断的に買収したのが気に触れついに解雇せられたが、今となりては得がたき遺物なりという。その地所の因縁から端の家を物産というたのであろうと思います。

‐p18~20‐